ポエム
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そこに愛はありますか?
医療系の大学に通い
病院や施設で
実習を受けていた頃

それはもう
厳しい先生にばかり当って

毎日
しごかれた

リハビリ職は
今はやっていないけれど

根性をたたき上げ
自分を強くしてくれたことに
感謝している

なんて
言えない自分がいる

あれから何年も経って
人間的に成長して

いっそう
あの頃のしごきとか
指導者さん
スタッフさん達から受けた
仕打ちを
許せないと感じている

どうしてか?

自分が
浅はかで
弱かったから
起きたこと

なんて言ったら
自己否定だし

そんなことを
思わせるような指導なんて
普通に考えたら
おかしい

中には
「私が浅はかでした」と言わせて
満足している指導者もいたり

また別の実習では
スタッフから
明らかに差別的な対応をされて

それを指導者に
相談したら

「自分(指導者)でさえ
君の対応に苦労しているんだから
彼がそうするのは
仕方ない」みたいな

いじめを
肯定するようなことを平気で言う
なんて指導者もいたり

全ては
私の被害者意識が
現実を引き寄せていたから
起きたことなのだと
納得しているけれど

だとしても
彼らがやったことは

明らかな
差別と偏見
いじめだ

そういった
攻撃や暴力を

「あなたのためだから」とか
「指導に必要だったから」とか
「そのおかげであなたは強くなれたでしょう?」
なんて言って

肯定して
いいものなのだろうか?

それを
肯定していた人達に
言いたい

あなたのそこに
愛はありますか?

彼らの行ないの根底に
愛を
私は見つけることは
出来ない

愛から生じた行ないは
厳しいものも
含まれることもあるけれど

それが
ためになるかどうかは
受け手が決めることであり

受け手が
納得できないもので

ただ
心身を傷つけるだけの行ないは

愛ではない

信頼関係とか
合意があるかどうかも
関係してくると思うが

ただ
指導する側だから
何をしてもいい

そう思うのは
おかしい

セクハラと
パワハラと変わらない

攻撃や暴力
いじめ

正義の名の元
それを行使するのは

戦争を
肯定するのと
何も変わらない

愛のある行為は
本来
人を傷つけるものではない

された側にも
原因がある

確かに
そうだけれど

だから
許して良いのか?

もう一度言います

先生達
あなた方がしたことの
根底に
愛はありましたか?

私は
あなた方のした行ないを
許すことは出来ません

恨み続けるのは馬鹿らしいので
被害者意識は手放すよう
努力しますが

それでも
なかったことには出来ません

私はあなた方を見倣い

言動と行動の根底に
愛を据えて

人に接していきたいと
思います

私も
支援者を目指しています

学生を指導する立場になっとき
愛を込めることを忘れずに
行っていきたいと思います




22/12/30 17:24更新 / アキ



談話室



■作者メッセージ
少々くらい内容ですが。

過去の振り返りを詩にしました。

精神疾患や発達障害を公表したばっかりに差別や偏見を受ける。
医療職でさえ、差別や偏見を行う。
支援者だからこそ、不適応者は淘汰しなければならないと思ったのでしょうが
何の権利があってそうするのでしょうか?

私は、淘汰されません。
再び支援職を目指し、当事者視点でも考えて行動出来る支援者となります。

障害者だから排除する。
そういう風潮は変えていかなければなりません。

障害者は社会的弱者、という観念。
だから配慮するか、排除するか、そういう考えはいりません。

健常者も障害者も同じ人間であり
同じ世界を生きている。
そこに隔たりを作るのは
何のためでしょうか?

もっと、健常者も障害者も関係なく関わり、お互いを理解する機会が必要です。

私はそのために貢献したいです。

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