ポエム
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私は無関心が怖い
私は気付いた

自分は
「無関心」が怖いんだと

もともと
人とのコミュニケーションが得意ではなく
むしろ交流が怖かったはずだ

それが
どうして
人からの関心を求めてしまうのか?

私は
昔から
他者から構われず
孤独の中で生きていた

それが当たり前だったから
一人の世界を極め
孤高であろうとした

しかし
その孤高な生き方には限界がある

独りよがりな生き方に飽き
他者とつながることで
自分の見地、可能性を広げていこうと決意し

勇気を振り絞って
一人、また一人と
声をかけるようになった

それを繰り返すうち
今ではこんなにも
自然に話しかけることが出来るようになった

人と関わる楽しみを知って
最近では
SOSなどを使って
自分の考え、気持ちを
発信していくようになった

自分のことを知ってもらう幸せ
誰かのことを知る幸せ
人とつながる幸せをかみしめ
私は満足している

と思ったら

止まらない

文章を書く手が止まらない

アイデアが湧くから
書いたり読んだりするのが楽しいから
それだけでなく

他者が閲覧してくれているか?
評価が入っているか?
それが気になって仕方が無い

私は自己肯定感が低いところがある
おそらくそれも関係している

だけれど
気付いたんだ

私は
寂しいんだと

文章を通じて
やり取りをする幸福を感じるけれど

やり取りの証である
閲覧数や評価が気になるのは
やはり
「関心」があると
目に見えて分かるからであって

だから
それらが少ないと
とたんに不安になるし
しんどくなる

見られてない
評価がない
イコール
「無関心」と捉えてしまって
苦しくなるんだ

無関心への恐怖は
一種の
「愛情への渇望」だと思う

だって
言うでしょ?
愛の反対は
無関心だって

本当は求めていたんだ
こんなにも
関わりを

そこから感じる
人の愛情を

ただ
この関わりへの渇望は
心の健康上
あまり良くないよね

今の私は
無意識に
「関心イコール閲覧、評価」
になっている

それがないと
心が満足しない
条件的な満足システムだから苦しい

だったら
シンプルに考えて
「閲覧、評価数によらない関わり」を
築いていけば良いかな?

閲覧、評価数が入ったら
数によらず
一人一人に感謝すること

自分も
色んな人の作品を読んで
感想のやり取りに心をはせてみること

そして
そのやり取りを通して
きちんと心を満たしてあげること

数があってもなくても
関わりは持てるし
心は満たされるということを

自分の気持ちに共感し
一緒に悩み考えてくれる人がいることを

ちゃんと自分に教えてあげたい



21/09/01 20:06更新 / アキ



談話室



■作者メッセージ
自分の気持ちにやっと気付きました。
そして
どうしたらいいか考えてみて
この詩を綴りました。

お読み下さりありがとうございます。

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