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ただいまとおかえり その6(最終話)
ヒロキが会社を辞め
タカシと起業をして3年が経った。

上司からは「もう少しいてくれないか?」と請われたが
ヒロキの気持ちは揺らぐことはなかった。

起業して初めの頃は
予想外のトラブルが起きたりと
道のりは険しかった。

それでも
タケシと何とか乗り越えて
こうして3年も保たせることが出来た。

ようやく軌道に乗り始め
利益もそれなりに出るようになったし
会社の名も知られるようになって
色んな取引先と交渉して
様々なプロジェクトを起こしていくことに
喜びを感じていた。

「ただいま」
ヒロキが会社から帰宅すると
「おかえり」と
部屋の奥から大きなお腹を抱えたアキホが出てきた。

アキホとは入籍して
現在、彼女のお腹には2人の子どもが宿っている。

全てが順調に行っている。
そう思えた。

突然
夜分遅くにヒロキのスマホが鳴った。

「誰から?」
アキホが尋ねる。

スマホを取り出すと
相手は母方の叔父からだった。

「叔父さんからだ。

何だろう?」

叔父とはそれほど頻繁に連絡を取り合わない。
そんな相手からの連絡。
ヒロキは何事かと思いながら尋ねた。

「もしもし
叔父さん?

こんな夜更けにどうしたんですか?」

「ヒロキ…」

叔父はヒロキの名前を呟いて
その後の言葉をなかなか出そうとしなかった。
暫くして、絞り出すようにその言葉をヒロキに伝えた。

「お前の母さん、死んだぞ」

「…」

ヒロキは何も言葉を発することが出来なかった。

沈黙したヒロキに
叔父は落ち着いたトーンで
母のミユキに何があったかを話し出した。

ミユキは今日もいつも通り
会社に出勤し働いていた。

定年を迎えてはいたが
再雇用でこれまでのように働き
会社でも一目置かれた存在であった。

普段と変わらず
これからもそうやってテキパキと
働き続けるのだろうと誰もが思っていた。

しかし
今日の昼前
突然ミユキが倒れてしまった。

救急車を呼び
急いで病院へと搬送されたが
そのまま意識は戻らず
先ほど逝去。

死因はくも膜下出血。

それまで元気にしたいたし
既往歴もなかった。

おそらく
元気には振る舞っていても
過労が溜まっていたのではないかと
叔父は話していた。

叔父の話すことが
映画のエンドロールのように
ヒロキの耳に入ってきた。

母が
死んだ。

ただその事実が
ヒロキの心にずっしりとのし掛かった。



母の通夜の日。
ヒロキとミユキも参列に向かった。

母のミユキと疎遠となってからは
親戚ともあまり関わり合うことがなかった。

そのため
参列した親戚達とも久しぶりに会う。

出会う親戚達から
「久しぶり」
「すっかり立派になって」など
色んな言葉を掛けられる。

今まで関わることもなかったのに
こうして温かく迎えてくれた親戚のおじさん、おばさん達に
ヒロキの凝り固まった心が少しずつ解れてきた。

棺桶の中に
ミユキがいた。

上京して以来の
親子の再会。

棺桶の中の母は
以前と変わらない冷たい印象で
自分を迎えるだろうと思っていた。

しかし
その中の彼女は
穏やかな表情で安らかに眠っている。

こんな表情の母を
初めて見た。

しかし
母の朗らかで優しい表情は
彼女が亡くなってから初めて見たのだ。

その事実が
はやり重い。

母の安らかな寝顔を見て
不意に涙が出た。

流れた涙が止まらず
嗚咽が漏れる。

「姉さん、最期まで仕事人間だったね」

声を掛けてきたのは
電話でミユキの死を知らせてくれた叔父だった。

「はい」

「でもね。
姉さんは
最期までヒロキのことを心配していたよ」

叔父の言葉が信じられず
反射的に
「そんな訳ありません」と応えた。

「言葉にも顔にも出さない人だったけど
ヒロキが会社を辞めて起業したという話を俺にしてくれた時があってね。

その時の姉さんの表情が本当に嬉しそうだったなぁ」

「そんな訳ありません」

そんな訳がない。
叔父の慰めの言葉が心に痛い。

そんな事実が
あるはずがない。

「それにね。

『あの子なら大丈夫。

あの子の傍には「おかえり」と言ってくれる人がいるから。
自分が息子にしてもらったようにね』と言っていたよ。

仕事人間だったけど
だからこそ姉さんは
ヒロキからの「おかえり」に励まされていたんじゃないかな」

「…」

叔父からの言葉が意外だった。

毎日のように繰り返されていた
「ただいま」と「おかえり」という
母とのルーティン。

どんなにその日が
楽しい一日だったとしても
夜遅くに帰ってくる
母親とのそのやり取りで
全てが台無しになる。

それがどんなに辛かったか
あの人は知っていたのだろうか?

自分には辛かった
あの習慣が

あの人にとっては
支えになっていたのだろうか?

そうだとしたら
自分はどんな気持ちで母と向き合えば良いのだろう。



自分の焼香の順番が来た。

手を合わせる際
唇が動いた。

「ただいま」

ヒロキは
死んでもこの言葉は言うまいと
上京してから母に対し思っていた。

死ぬまで
会うものか。

しかし
冷たくなった棺桶の中の母に対し
この言葉を投げかけたくなったのは
どうしてなのだろうか。

母にとって
あのやり取りが支えになっていたのだとしたら
少しでも母を許せるかもしれない。

しかし
母が死んでから許すなんて
あまりにも遅すぎるような気がして
せめてこの言葉を孝行として投げかけたいと思ったのだ。

やっと絞り出した言葉。
それに対し
返ってくる言葉はないだろう。

その事実を受け止め
止めどなく溢れる気持ちを堪えながら
焼香の場から去ろうとした。


「おかえり」

その時
その言葉が背後から聞こえたような気がした。

気のせいかもしれない。

気のせいでも良い。

母が昔のように
自分とあのやり取りをしてくれているのだ。

今度は自分が
「ただいま」を。

そして母が
「おかえり」と言って。





ーーーーーおわり

26/02/27 17:25更新 / アキ


■作者メッセージ
最終話です。

お読み下さりありがとうございます。

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