ポエム
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腸が煮えくりかえるほど嫌いな祖母
今日
祖母を救急車に乗せ
病院へ向かった

昨日から
胸の痛みを訴え
今日もそれが止まなかったためだ

容態は安定し
元々狭心症の既往があったが
今回の痛みは原因不明で
異常なし

対症療法としての
薬を処方された

昨日の時点で
かかりつけの医者に行っていれば
そういう後悔もある

しかし
それよりも
祖母の胸痛を

またいつもの
自分をかまって欲しいアピールだと
演技だと思ってしまった

いや
おそらくそれは間違っていない

祖母は昔から
そういう気質の人だから

どこまでも
自分は注目の的でいたい

だから
思ったように構われないと
悲劇のヒロインを演じて
悲嘆に酔いしれる

身体化表現
ストレスによる
心因性の身体症状

医療を習った私は
それを疑っている

ストレスが体に出るほど
心が病んでいるのかと
普通ならば哀れに思うのかもしれない

だけれど
私にはその感情がわかない

なぜなら
生理的に祖母を受け付けないからだ
つまり
祖母がこの上なく
人として嫌いだからだ

今日も
散々家族に迷惑かけたのに
思ったように動かなくなった体や
理解できなくなった頭を
嘆いてばかりいる

その上
今日、たくさん世話を焼いてくれた
私の母に対する
日頃の愚痴

認知が大分落ちてきたのは
分かっている

しかし
分かっていても
心から祖母を尊敬できないし
愛することもできない

今まで色んなお年寄りを見てきたけれど
体や認知が衰えても
人として大切な部分というものを
保持してたくましく生きている人も沢山いる

結局のところ
今までどう生きてきたかが
老後になって表れてくるのではないだろうか?

何にせよ
祖母を嫌う気持ちと上手く付き合って
客観的に対応していく

それが上手くいかなくて
昨日のうちに受診できなかった

「他人として祖母と付き合う」
そうすることで
表面的に良好な関係が築けている

こんな腐った弱い人間を
相手にしていることが
たまらなく辛かったときもある

今は大分その気持ちが治まって
自然に、穏やかに接することができる

それだけ心の角が取れて
成長できたのだろう

今でも
「早く施設行けばいい」と
思うことがある

それでも
穏やかに笑顔で接するのは

私が子供の頃
認知症の祖父を
言葉で詰り虐め通してきた

祖母のようにはなるまいと
心に決めたからだ

祖母を許そうなんて
思うことはまずないだろう

だけれど
祖母と同じことはしない

反面教師にして
人として大切なことを学んでやろう

そういう気持ちで
今日も明日も
生きていく
20/04/09 00:30更新 / アキ



談話室



■作者メッセージ
以前も「祖母が嫌い」という内容の詩を書かせていただきましたが
今日は、再び気持ちを整理してどう生きていこうかという題で詩を綴りました。
お読み下さりありがとうございます。

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