対岸の火事
どんな悲劇でもそれが対岸の火事ならば心には響かない、と言うけれど。果たしてそれは本当だろうか。もしも対岸の火事が、火事ならば此方側から水をかけようとするだろう。誰かの不幸ならば胸を痛めるだろう。対岸だから自分には関係のないことだと割り切るのは、簡単だけれど、私には多分出来ない。身にかかる粉よりも、誰かにかかる火の粉を払いたいと偽善を振りまく私にはきっと。偽善的な方が、善より余程私らしい。どんな悲劇でも、それが対岸の火事で届かないと分かっていても、私は多分諦められない。大切な人を蔑ろにしない。自分に無頓着な私の、それは生きる理由だから。