ポエム
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病気でね
小学生のころは底抜けに明るく少年のような
はっちゃけた文武両道の少女だった
中学でも知らない人はいない有名な子供だった
5回の転校の別れに泣き、熱烈に可愛がってくれる教師と
私を憎み虐めこむ教師がどこにも居たものだ
体操部で宙返りをしたり幾つも県で一番の成績を収めた
中三で転校して部活動の充実を失い友を失った
転校先でいじめにあい、震える心で自らの髪の毛を引き抜いた
机の下にごそっと髪の毛の塊を見つけた時の戦慄よ

それと同時に家族の仲が最悪になった
父は家に金を入れず、母は暗いキッチンで手の皮を毟り
ぼーっとして赤い手をしていた
弟も虐められていて
熊が来る、と怯え、
バットやボールなどの武器をかき集めていた
家のなかは暴力のピンク色の水槽だった
金の無さと家族の冷戦は続いた
母がぼろく擦り切れたいつも同じの服を着て
子供を優先し、自分だけ魚が無かったり、
時に粗末なご飯を食べていたのが悲しかった

私は情緒不安定で孤独で学校でも孤立し、
大学にも行けず、精神の低空飛行をさ迷った
文学少女だったのに言葉が瓦礫となって転がった
現実に届かなかったのだ

ノラ犬のように音楽を聴いて過ごした二十代
セクハラにあって友達に裏切られPTSDを発症し不眠になった
あの東大の男の子たちに踏みにじられた青春よ
友達になりたかった同年代の子に
人前でゴミかぼろ人形のようにあしらわれたことで私は半ば壊れた

日本に疲れ、傷つき逃れて、
インドに住もうとして不良インド人と一瞬結婚した
日本でパキスタン人やイラン人などと交流を持った
元夫はふざけて顔を大やけどをしたり、家の金を盗んだり、
貝剥き工場でこき使われておばさんたちの下ネタにあしらわれたり
ヤクザ経営の仕事だったり、浮気、嘘、裏切り、
インドでは子供たちと遊び、
いいことも霹靂も、火花も、
エキゾチックに非日常を
マドラーしてたくさんあったがね
離婚は刃傷沙汰だった
自分の涙が流れた時、嘘くさい、猿芝居のように茶番だ、
と内心思ったのを覚えている

裁判所の検察のおばさんが私の
証言を信じなかったときの失意と怒りを覚えている
疑うのが仕事の人たち
ストーカー被害を警察に相談してアドバイスを受けたとおりにして
企業から即日解雇された疎外感を覚えている

相談した弁護士は優しかった
私の給料の低さに稼げないな、と落胆した様子は私を傷つけたが
その後も無料相談の範囲で親切だった
派遣社員だった雇い元も冷淡に私を切り捨て
補償賃金をごまかし踏み倒そうとした
次の職場は企業の調査会社だったが、
企業犯罪をしていて、
それを見つけた私を守秘義務と賠償責任を負わせようとして脅した
そしてそれゆえに私は病気を発病した
社会から遠ざかり、
漂うように薬でぼーっと回らぬ頭で存在し、
ゆえもなく医者に偽物の恋心を寄せた侘しい時間よ
時に恋と連動して病気になってしまうことが悲しい

病気の話は辛すぎてできない
でも誰かに知ってほしいのだ
受け入れてほしいし、嫌わないでほしいし、慰めてほしかった
たった一人で消し炭になるように精神が燃えて憔悴し病気になり、
ずっと孤立していた私を

病み上がりに洋裁を身につけたことは小さな幸せだった
美しい色の布地を選び、
姪っ子双子の愛らしい子供服や小物、ドレス、など
季節の光の中でしんとしてミシン前に座り、
すきにデザインして自由と愛とを注ぐ静かな安らぎの時間だった

またアメリカで見つけた骨董を独学して十数年売買して
それは私の人生をそっと豊かなものにした

たとえ泥の津波のように病が再発することを恐れていても
別の人生を送りたかったけれど
もっと幸せになりたかったけれど
ちゃんと自立して自分の力で生きていける強い人間になりたかったけれど
私は弱さを抱えて私で生きていくしかないから
まあしょうがないのだ
だから私を蔑み私を否定しないでほしい
そっと諦めて森の変人のように生きることを思う
愛は石ころのように落ちてはいないから
愛を思えば少し心がゆるゆると流血して
私はふふふ、と自嘲し、笑ってみよう
明日のために





23/03/11 00:45更新 / 湖湖



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