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某詩の投稿サイトで
某詩の投稿サイトで社会問題、ここでも出したルワンダ大虐殺に関する詩をだしたら、他人の不幸を蜜とする偽善者の詩、と呼ばわる人がいてびっくりした。

味方に付いてくれる人もいてその詩は紛糾している。
未熟な詩であっても社会問題を扱ったからと偽善者扱いするのは詩の世界に何があるのか。社会問題は扱わない自主規制の閉塞感があるのだろうか、と類推した。私は他者を傷つける俗悪なものでなければ何を書いても自由だと思っている。だが、私を人格否定した人の中には他者に対する疑心暗鬼、表現されたものの中に迫真性が無ければ偽善と言っていい、という優劣の感覚があるのだろう。私の詩は未熟だったろうが、私は偽善者呼ばわりは辟易した。悪意を向けられたと不快で、詩で社会的なものを扱う気力がなえる。

私は病気持ちだから収入も少なく、寄付などはすこししかできないができればするほうだし、弱者の側面を病人として持っているから同じような不遇の人にも共感があるつもり。
子供の頃から他者を虐めたことは一度もないし、本を読んで最も感動したのは人道主義のヒューマニティー高らかな高邁なもの、そういう普遍の感動が人類にはあると信じることが友愛だとも思っているのに、不潔な疑いを決めつけて踏みにじる人が詩人同士のなかに蠢いているのかな、と詩の世界の閉塞を感じた。身内を敵視して、ではないが、詩人も仇のように批評をしてくる人がいる、それは人生の怨恨感情なのだろうか。SNSをやっていたときも、社会問題やフェミニスト的な発言をするとどこからからあらわれてこづきまわし、虐めこんでくる卑劣な男が時々いる。生意気な女を手籠めにしてやり込めたい、そんな男の歪んだ欲を想像する。そういうのにはほんとうにうんざりだ。
 詩人や作家や芸能人で有名人になるのは苦痛も多そうだ。名前を背負うって、凄い味方が欲しくなるね。信じて愛してくれる人よ。それこそが人生で最大の財産だ。
22/12/29 20:36更新 / 湖湖



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