天秤のうた
見てくれと願うのも、見ないでと願うのも、同じ人間が話す言葉なんて矛盾じゃないか。天秤が釣り合ってなきゃいけないことなんてない。片側に寄せて、極端であればいいものを、それでもわかってくれ、察してくれなんて言葉で自己防衛をする。馬鹿馬鹿しい。道路に捨てられたゴミは、踏まれて黒ずんでしまう、ぼくみたいだ。馬鹿馬鹿しい。
案外、ぼくらは相反の上に成り立ってるみたいだ。N極とN極は同じなのに退け合うのは、重力がどうとかじゃなくて、もしかしたら同族嫌悪なのかもしれない。ああそうさ、ぼくだって、見て欲しくないぼくと見て欲しいぼくがいる。否定しないさ、天秤を傾けきれていないのさ。それでも馬鹿だと言ってしまうのはぼくがN極だから。黒歴史なんて言葉が常識と共に佇んで、何食わぬ顔でぼくらを見ています。いつか、そうなってしまう。だからぼくは言います、馬鹿だと。ひとしきり笑ったあとに、天秤の片側にちからをいれてやる。ほら、傾いた。