不滅の微笑み(小説版)
遠い未来。
戦争によって、ほんの十数年のうちに、都市は廃墟ばかりとなった。ほとんどが水没し、人の気配は消えた。
そんな中、二人の母子が残った。母はオラシオ、子はプエラといった。すでに夫は他界していた。
しかし、オラシオも津波に飲まれてしまった。
死ぬ直前にオラシオは、まだ六歳になったばかりの娘プエラが気がかりで仕方がなかった。
「お願いです神様!!」
「どうか、プエラのそばにいさせてください!!」
「あの子が幸せになるまで、見守らせてください!!」
その願いが通じたのか、オラシオは幽霊となって復活できた。
しかし、プエラにはオラシオの姿は見えないようだった。
仕方なく、オラシオはそばから静かに、娘を見守ることに決めた。
プエラは、頼れる人がいない中、一人で生きていかねばならなかった。
オラシオは、そんなプエラをはらはらしながらみていた。
数年後。
プエラの部屋は、彼女が気に入ったガラクタで溢れていた。
支度をし、廃墟の散策を始める。
カラスたちが、プエラのまわりに集まってくる。
「おはよう、カラスさん」
プエラは彼らに挨拶する。
オラシオは、カラスが嫌いだった。プエラにまとわりつくな!とオラシオはカラスを脅した。
その中の一匹のカラスが、オラシオに話しかけてきた。
「お前は、なぜ我々を嫌う?」
オラシオは答える。
「あんたたちカラスは黒々してて気味悪い。病気とかもありそうだし。プエラになんかしたら許さないからね」
カラスにはオラシオの姿が見えており、意思の疎通もできる。
しかし、たがいに仲は良くない。
「我々は、プエラに危害を加えるつもりはない」
「うるさい、カラスのくせに」
カラスたちは犬の死骸を見つける。群がり、食らっていく。
彼女は顔をしかめる。
「はあ…、いやだこんなとこ。」
「なぜだ?」
「カラスが犬の死体を食べてるとこなんて、不気味ったらありゃしない。なんでこんな世の中に…。」
「犬の肉は我々の糧になる。それに、これは鳥葬といって人間には供養なのだろう?」
「それとこれとは別。はあ、プエラは、こんな世に産まれてかわいそう…」
「かわいそう?」
「こんな不幸な世の中に産まれて、不憫でしょうがないの」
「不幸?なぜだ?なぜプエラが不幸だと思う?プエラは今、笑っているぞ」
見ると、プエラは廃墟でおもちゃを拾っていた。それは、空の酒瓶だった。角が少し欠けている。ニコニコしてそれを見るプエラ。
オラシオはため息をつく。あんなおもちゃで幸せになれるものか、やはりカラスはただの獣だと思った。
夜になって、プエラは寝床へ帰る。
しとしとと雨が降る中、プエラは食事をする。今日は好物の、ももの缶詰を食べている。
実に美味しそうに、それをほおぼっている。
オラシオは、そんなプエラを微笑ましく、そして悲しそうに見つめていた。
…この子は、この先何年たってもお店に入って食事、なんて経験しないのね…
オラシオは、少し悔し涙を浮かべていた。
その後、彼女は持ち帰った瓶で遊ぶ。オラシオはケガをしないかひやひやしていた。
そして、彼女は今日もぐっすり眠る。
そのような日々が続いていた。
「…プエラ…」
こんな環境のせいで、きれいな服を着ることもなければ、遊園地に遊びにでかけることもできない。それに人間の友達も、一人もいない。そういうことが一番楽しいはずの年頃なのに。
プエラがそういった裕福さを知らないことを、オラシオは悔しく思っていた。
それでも、なんだかんだとプエラは元気に育っていった。
そしてプエラは最近、おめかしをするようになった。
といっても髪を結んだりする程度だが。それでもオラシオは、娘の変化が嬉しかった。
たまにオラシオは、プエラと髪を結い会う妄想をした。
「お母さん、お父さんとはどうやって知り合ったの?」
「知り合いの知り合い、っていう感じで紹介されたの。とってもかわいい人でね、子どもみたいに無邪気な人だったの。」
「いいなあ、私も出会いがあるかな」
「もちろん、きっとあるよ」
そんな会話を、オラシオは空想する。
「……私さえ生きていれば、できたことなのに」
ぽつりと、彼女は一言呟くのだった。
そんな日々がすぎていった。
…その日は、嵐だった。
暴風雨が窓を叩く。怖くて震えるプエラ。オラシオもそわそわしている。
とうとう窓が割れ、部屋中が風で荒らされる。
プエラのお気に入りのガラクタたちが、四方に飛び散る。
彼女は慌ててかき集めている。
少し涙目になりながら、必死にものをかたすプエラ。足の裏はガラスや鉄クズの破片で傷つき、血が出ていた。
しかし、集めたガラクタはほとんどが壊れてしまった。
暴風雨が止む。
その日、プエラは背中を丸めて、震えながら眠った。
「お母さん……」
寝言を、彼女は呟いた。
オラシオは、彼女のそばに近寄り、頭をなでた。
しかし、プエラには気づいてもらえない。
「……プエラ」
「ここに、ここに私はいるわよ」
オラシオは、決して彼女に届かないと分かっていても、そう伝えずにはいられなかった。
…その日からプエラは、床につく時間が増えた。
どこか気だるそうにしており、オラシオは風邪をひいたのかと考えたが、それにしては様子がおかしかった。
そんなプエラの様子を、たまにカラスたちが見に来ていた。
そして、一匹のカラスは言った。
「プエラは、近々死ぬ。」
オラシオはカラスに激怒し、叫んで追い返した。
「何てこと言うの!?お前が死んでしまえ!!」
実はプエラは、破傷風にかかっていた。鉄クズを踏んだ際、雑菌が入り込んでしまっていた。しかし、プエラに病名など分かりはしないし、分かったとしても治しようがなかった。
オラシオはどんどんやつれていくプエラを、ただ見守る他なかった。
「おお……プエラ。また元気になっておくれ……」
「神様、この子の幸せを見届けるまでは、私も消えられません……どうか、この子を」
「この子を……救ってください」
「どうか……どうか……」
……そして、ある日の朝。
この日も、いつぞやのように嵐だった。
プエラはもう息も絶え絶えだった。オラシオはそんな娘の姿がつらくて、一晩泣き通しだった。
ふと、プエラは顔をゆっくりとあげた。
目が合う。
どきりとするオラシオ。
そしてにこり、とだけプエラは笑い、そのままこと切れた。
オラシオが叫び起こそうとする。
「プエラ?!私に気がついたの?!ねえ、起きて!プエラ!まだだめよ!お化粧教えたげるから!あなたまだ、してないことがたくさん…」
動かないプエラ。
暴風雨がうずまく中でオラシオは、雨と涙で汚れていた。そして、天に向かって叫んだ。
「なぜ、プエラはこんなにも不幸なの!?」
「なぜ死ななければならなかったの!?」
「私は…あの子に幸せになってほしかっただけなのに!」
「なぜ!?なぜ!?神様、約束が違います!!あの子の幸せを……」
「見守るために……私は……」
「うう……う」
「プエラを、プエラを返してよおおおおお!!!」
「うああああああああああああ!!!」
オラシオの問いかけに、答えるものはいなかった。
プエラの亡骸に覆い被さって、オラシオは泣いていた。
…それからオラシオは、プエラを食べに来た野犬などを追い払っていた。しかし、だんだんとプエラの死体は腐っていき、オラシオはちゃんと供養できないことに腹が立っていた。
……夜。
オラシオは夢を見ていた。
プエラがいつものように遊んでいる。
オラシオも、いつも通りプエラの様子をみていた。
すると、プエラがオラシオに向かってやってきて、にっこりと笑った。
「………………」
つう……と、涙がつたった。
妙に胸が暖かい気がした。
そしてオラシオは思わず、こう口にした。
「プエラ、あなた幸せそうね」
……そこで、はっと目がさめる。
オラシオは、ひとり考える。
プエラは、幸せだったのか?
わからない。
しかし、プエラのことを思い出すと、いつも笑顔の彼女がいた。
おなかいっぱいごはんを食べることも、きれいな服を着ることも、すてきな恋をすることも、とうとうプエラはできなかった。
しかし、それでもプエラは、いつも笑っていた……
……その日の昼。
カラスたちのもとに、オラシオがやってきた。
「プエラを、食べて。供養してちょうだい」
「……」
「あんたたちは、プエラに好かれていたから。あんたたちなら嬉しいと思う」
「……わかった」
プエラは、カラスに鳥葬される。オラシオは、少しすっきりした顔をしていた。
「ありがとう」
オラシオは、そのまま外に歩いていく。
一匹のカラスが、オラシオに話かける。
「どこへ行く?」
「あては特に。ただ、プエラもいなくなっちゃったから、どこか行こうかと思って」
「ひとりでか?」
「家族の思い出があるから。それでいいの」
「そうか。」
「それじゃ、さようなら」
「ああ、さようなら」
オラシオは、海に向かって歩いていく。
カラスは、その背中をぼんやりと見ていた。
清々しいほどの快晴。
その、空と海の青さにとけるように、オラシオは消えていった。
海は静かに、波打っていた。
終わり