メヒシバ
此れ薬(やく)が、ヤマの空へ問いかける、
⾃分とは何者なのかい?… その答えとして
ー我はこの世で最も多くの者だ、丁度星屑のような、ト、
解るとき、その故に絶望した時、其の⼼の底が光って花はみるみる誕⽣してしまう。
他(た)に、美しき者とは、只悲劇を怖れず、可憐に咲き此の⾝を⾵に任せます。
怖れと親しみとは似て居るのかもね、
我、⾃らを砂に帰へし、誠に「花で有る」「特別で有る」というのは、⽮張
揺れる蘭のような亦、流れる“⽇常”、光沢の有る⾊彩(いろ)、且つ破滅を思はせる劫(とき
)、即ちとこしえの⽇常のわらう事です。
⼈間とは、その内側から円舞曲を聴いたやさしい⽿であります。SORAに似合い君であります!
⾼くかひしく、さまような…!
咲(さ)あ、TVの有るへやで其の⻘やグレーに張り付くが良(よ)い。
我、美し者でも無けれどね。
「ひそかにおもんみれば、難思の弘ぜいは難度海を度する⼤船、無下の光明は無明の闇を破す
る慧⽇なり。しかればすなわち浄ほう、縁熟して調達闍世をして逆害をこうぜしむ。浄業、機
あらはれて釈迦葦提をして安養をえらばしめたまえり。
これすなはち権化の仁、ひとしく苦悩の群萠を救い、世雄の悲、まさしく逆ほう闡提をめぐま
んとおぼす。かるがゆえにしんぬ。圓融⾄徳のこごうは悪を転じて徳をなす正智、難信⾦剛の
(中略)穢(あ)をすて浄をねがひ、⾏にまどい信にまどい、⼼くらく識すくなく、悪おもく
もの、ことに如来のはち道を仰ぎ、かならず最勝の直道に歸して、もっぱらこの⾏につかへ、
ただ、この信をあがめよ。
■タイトル:野暮(やぼ)
■作者:苦難
-------------------------------------本
⽂------------------------------------- 葦も⼆枚⾆の美しさには傷付き、何らか希望を持つて
たゆたう圭(わたし)はさだめなく思いの千々に乱れる
重畳(ちょうじょう)と云つて憂いもせず
⻘を有り難がつた 地位と云う百円傘に喜する
他⼈を擲やり露払い 敵(らいばる)等も居らず、⾒ぐるしい提灯を持つて居る
とほく偶(たま)さか⽉有りし、あの「僧」を圭は崇める
何にも犯されぬ苦の無い微笑みに⼼の燃えて 構えて拒絶の思ひ似た美しさの
圭も⾃らの⽪を剥いで何も無くなつた時に、その時にこそ魂が浮くのと知るから⾊々精霊など
信じる 圭きつと野蛮⼈と云うものであるが、彼は其んな圭とはくつきり対⽐されて居た。
流⾏を影にアイデンティティを図り、敢えて圭はヴィトンのバッグを持つた。わざわざ道化を
偲びアメ村のロシアンバーに向かつた、プラダを着た悪魔が上映された最もVOGUEの汎く映え
た頃だつた。装いの他は別に何の純粋な期待も⽤意も無かつたが⾏つたら⾏つたで物珍しいば
かりであつた。綺麗な外国⼈が圭を問うた。「あなたも皆同じヴィトンを持つて居る、其れは
個性が皆無。」 圭は怒つて、「ああ。。」と云つたきり黙つてしまつた。⾐は譬え、ジャニス
ジョッブリンな⾐装、きらりと、派⼿な明かるみを持つあの⼦たちと同じにされた、と云う事
が何より嫌であつた。其う云うたわい無い嫌悪で⼀切の話の発展を諦めたのだつた。此の外国
⼈と喋つた⼀、⼆分の遺恨から⾊々考へた。もつともつとこだわりを持つのであれば、ヴィト
ンを持つ事も跳梁(ちょうりょう)と思われて居るだらう。最近の⽇本⼈さへ、こう云うのが
拡まつて外⾒の個性が威を振るう。正し、ファッションは何を云われても無個性で阿呆らしい
もので有り続ける花で、世の中で本当に唯⼀の格別に無意味な誂へを引つ張り出す事と云ふ、
習いである。個性は⾄つて無しから、ちらちらと覗ける朱である。それ程が良いし、もとより“ 個性的”な装(しょう)とは別に⼼を表現するなら此れである。
悲しみは扨て置き、天使と丁々発⽌、必ず起こる科学反応をまるで空海のあの時代の如く、激
しく議論をたたかわすと云う健気な情熱の夢を⾒る。圭は其れなりの圭をまつぴらで、しんで
も狂うてももつと詩的な囁かな談笑…然し海とは寄せたり返したり、絶望(しゃぼん)の美学の
⺟で世界で⼀番残酷を現す美其れ、圭の尊び憎む事のこの上無し寂しい靄の豐。