ポエム
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強い敵
多少の雨は良い

ひに、




調子に乗るのか商売なら、そう諦めて基本姿勢に戻る勇気。


空っぽにしないことが大切だ。











生命の在り処が同じで

生活の拠り所を人と隔て、好きな神と生きる



「舌足らず」と、私は憧れたが、

勝手も、いつかの自分自身である


強い憧れとは、いつかの自分、

または失った自分が、含んで映っているのだ


何で自意識過剰になるかというと、


あまりに自分ではないものを取っちゃったり、自分ではないレベル、所にいるからだ



無(ムー)は自意識だったのだ!これは、自分(私)の自意識というよりかは、そういった神秘や哲学的な意味を否定し、ムーに与えないでいる。
ムー自身が自己で蓄積し続けるしかない自意識だけの何か、つまり強く言うと縁のものではなくまして感情ではない、物質的な、になってしまった概念としての「ムーの自意識」を説明するなら、ムーは、自滅した自意識、と書く。悲惨であるから、
我々は、これをムーと名付けた。そういう形で、「外側」に出ることを達成している。なぜなら幽霊の向こうに神はいても、幽霊とは真実生きていた人としていることが不思議と成立している。だから崇拝しないことを選んだ。これらが一年かけた「私の展開」として縁起が有った。わけもなく祝われたのだろう。

無とは、主観や客観性などの、影のない小セカイのことだ。ただ、そう言い切る力が自力であるから希望や光に属すが、神の教えに、自身の大きさが歯車(はぐるま)程度であることに変わりがないから修行を続けている。要は「苦を苦と実際した人」となった。




高い木を捉えていた

差し出してくれたのだと思った


私は自分家に帰った






論文の格好など、掴みたいなら掴むべきだ。「良いこと」をしているうちに、こつこつしているうちに良いことが来る。











22/03/11 12:12更新 / 待作



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