孤独fin
ここで頑張ってるのは私だけで、
私はこれを、覚えるのです。
とほうに暮れた哀しみ、そんな高度な詩を、未だに書いてみたいと思うので既に
救われたものです。
何で高度かというと、一連のただの流れを「手」で描写するからです。
結局「好き」って、
気持ちを抱えてもらえなかった、って、
振られたってことですよね。
でも自分は好きだから、絵画や、食、音楽、哲学、そんなものを、
取り組む時に、恋愛を乗り越えたぶん、灰として「思い出す」んです。
思い出になった時に、はじめて受け入れてもらえる。
自分の好きか嫌いかで約束(紙の上のものではなく、もっと楽しいもの、つまり上の形がそれそのまま)が決まるかは、
違うことが、古い価値のある考えで、
これにより、何か、あったのかもしれませんと思うし、
「純粋」だ、と括っときましょうか。でも好きか嫌いかは
契約、約定できません。
実際、じきに人に居る方に歩いていくのは自分で、
実際、そこに恨みなんてないんだから、
ここまでのこの現実を、「リヤル」として。
たけたけ、空けてくれたら、嬉しいな。
寂しい、という感情も私にとっては花のように、
抱きしめられることよりも数倍大事です。
喜んでいるのは、あなたの家族か?
私はゆっくり、何事も感じたい。
「孤独」でも、なぜ暖かいのか?
そんな質問ですね。
これは、人の関わりというよりは技術なんです。
たとえば、木は好きですか? あの寂しい色をした、そのままの、それでいながら良く見ると立派に葉まで沢山持って居る。しかも緑だ。
自分には理解できないようなあの新緑のカタチ(色、色彩)。
すごい、と思いませんか?
あと、感情っていうのが、自分から出るもので、
生まれた「私」の感情が、いずれにしろ、どの感情も、悪いわけが
ないのですよ。
だから、恐れず感じてみて、「無」になれば、
火がともりますね。
感じないから、ムカつくんです。
それが憎しみになって、
憎しみって、もはや感情ではないことが、
分かるのです。
私はこれを、覚えるのです。
とほうに暮れた哀しみ、そんな高度な詩を、未だに書いてみたいと思うので既に
救われたものです。
何で高度かというと、一連のただの流れを「手」で描写するからです。
結局「好き」って、
気持ちを抱えてもらえなかった、って、
振られたってことですよね。
でも自分は好きだから、絵画や、食、音楽、哲学、そんなものを、
取り組む時に、恋愛を乗り越えたぶん、灰として「思い出す」んです。
思い出になった時に、はじめて受け入れてもらえる。
自分の好きか嫌いかで約束(紙の上のものではなく、もっと楽しいもの、つまり上の形がそれそのまま)が決まるかは、
違うことが、古い価値のある考えで、
これにより、何か、あったのかもしれませんと思うし、
「純粋」だ、と括っときましょうか。でも好きか嫌いかは
契約、約定できません。
実際、じきに人に居る方に歩いていくのは自分で、
実際、そこに恨みなんてないんだから、
ここまでのこの現実を、「リヤル」として。
たけたけ、空けてくれたら、嬉しいな。
寂しい、という感情も私にとっては花のように、
抱きしめられることよりも数倍大事です。
喜んでいるのは、あなたの家族か?
私はゆっくり、何事も感じたい。
「孤独」でも、なぜ暖かいのか?
そんな質問ですね。
これは、人の関わりというよりは技術なんです。
たとえば、木は好きですか? あの寂しい色をした、そのままの、それでいながら良く見ると立派に葉まで沢山持って居る。しかも緑だ。
自分には理解できないようなあの新緑のカタチ(色、色彩)。
すごい、と思いませんか?
あと、感情っていうのが、自分から出るもので、
生まれた「私」の感情が、いずれにしろ、どの感情も、悪いわけが
ないのですよ。
だから、恐れず感じてみて、「無」になれば、
火がともりますね。
感じないから、ムカつくんです。
それが憎しみになって、
憎しみって、もはや感情ではないことが、
分かるのです。