ポエム
[TOP]
孤独fin
ここで頑張ってるのは私だけで、


私はこれを、覚えるのです。




とほうに暮れた哀しみ、そんな高度な詩を、未だに書いてみたいと思うので既に


救われたものです。



何で高度かというと、一連のただの流れを「手」で描写するからです。



結局「好き」って、



気持ちを抱えてもらえなかった、って、



振られたってことですよね。




でも自分は好きだから、絵画や、食、音楽、哲学、そんなものを、



取り組む時に、恋愛を乗り越えたぶん、灰として「思い出す」んです。




思い出になった時に、はじめて受け入れてもらえる。



自分の好きか嫌いかで約束(紙の上のものではなく、もっと楽しいもの、つまり上の形がそれそのまま)が決まるかは、



違うことが、古い価値のある考えで、



これにより、何か、あったのかもしれませんと思うし、




「純粋」だ、と括っときましょうか。でも好きか嫌いかは



契約、約定できません。








実際、じきに人に居る方に歩いていくのは自分で、



実際、そこに恨みなんてないんだから、





ここまでのこの現実を、「リヤル」として。






たけたけ、空けてくれたら、嬉しいな。




寂しい、という感情も私にとっては花のように、





抱きしめられることよりも数倍大事です。





喜んでいるのは、あなたの家族か?




私はゆっくり、何事も感じたい。











「孤独」でも、なぜ暖かいのか?





そんな質問ですね。




これは、人の関わりというよりは技術なんです。







たとえば、木は好きですか? あの寂しい色をした、そのままの、それでいながら良く見ると立派に葉まで沢山持って居る。しかも緑だ。



自分には理解できないようなあの新緑のカタチ(色、色彩)。



すごい、と思いませんか?






あと、感情っていうのが、自分から出るもので、




生まれた「私」の感情が、いずれにしろ、どの感情も、悪いわけが





ないのですよ。





だから、恐れず感じてみて、「無」になれば、




火がともりますね。





感じないから、ムカつくんです。





それが憎しみになって、






憎しみって、もはや感情ではないことが、






分かるのです。



































22/01/21 08:58更新 / 待作



談話室



TOP | 感想 | メール登録


まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35c