何回しても同じであるし
潔さがないことが、不潔なんだろう。
今もろに、知ってるはずの客観性がない。
なかなか見つめられるというのは、「無」にされたような
被害的なコンプレックスの意識に、
他者の否定と存在を同時に云う自我の目に、
同時に世界を解体してしまったような、限定的な囲いから釈放されたような、
この、有害なかかわりによって、希望とときめきとして
優しさにたいして相手の輪郭の内側にいるような
何かを決める責任を逃れ、つまり許容された私とは、はじめての
成長であり、安心
物事が正しく有る、
自由度があって、頼りがいがあって、趣味が高い
どこでもイマジネーションで生きれる
いくら見つめられても、私とは、見つからないのだ。
「ジェニーはどこだ」という歌がある。必死に相手を探す歌だ、もしそんなことをあなたがしたら、
私は好きになる。妥結のない緊張感は美しくないし、
続きもしないさ。
いくら押さえられたとしても、結果も大事もどちらも私は思い出しはしない。
このことを、このことだけを、あなたは覚えていくのだと思う。
はじめから言って欲しかった。
「すべてが徒労だ。」と云えるくらいには、好きだった。
故、だからこそ諦めた。
真実とシンジツは違う。「私」はシンジツを殺すのに必死なの、疲れた。
レポ
いる、いてくれてるというのが、現実でない時でも、現実が終わらないのは、
人間には肉体の厚みと間合いが有って、
判断を超えるからです。
「対話」によって、その客観性を確認するときに生まれたての幼い主観、主体を育てるしかなく、
その間、
考えもしない驚きの思考や、主体とはなにか?等の問いかけを思い、上記の行為から「大切にする」何かだと分かるのです。たとえモノになる主体とは、一段死を抱えることとして、男に立ち向かう裸の女、の客観性。さらに、その道程に襲い掛かるゴーストや、その他険しさと、未知。辿り着いたナイトクラブ。
学びは、
魂が一つのことと、魂が同じだ、ということは、言葉が違い、言葉が違う、差異があることから父母から離れ、且つ自立している心の存在を見るが、それが完成だと云い難い、魂は皆一緒だったら、その何かは理解をしないけど向かう為に、全体的な歯車の「一個」になる私、主体、は、モノになった意味として理想として働いている。全く諦めていない。知識貯蔵庫に収められる私、としても、「一つ」の愛が叶わぬわけというよりは、もっと悲しみの中に「いて」、物語が実はもっと長いのだと「知った」。冒頭からここまでのこんなことから(私も)煙草を吸う。
主体が、「大切にする」何かだと分かる、このとき「ある」こと、一定の相手が「ある」こと。
父母から離れる、自分と一体であるはずの父母と、自分の心。
数年がもし過ぎて、懐かしいような鮮やかな顔をもう一度見たとして、
その時も、やはり好意を思っても、拒否しないし、
あなたを哀しむことが恐くないのだ。
その時は誰かと結婚していたりして、欲がないから。あなたも、そういう人を
見つけて。
今もろに、知ってるはずの客観性がない。
なかなか見つめられるというのは、「無」にされたような
被害的なコンプレックスの意識に、
他者の否定と存在を同時に云う自我の目に、
同時に世界を解体してしまったような、限定的な囲いから釈放されたような、
この、有害なかかわりによって、希望とときめきとして
優しさにたいして相手の輪郭の内側にいるような
何かを決める責任を逃れ、つまり許容された私とは、はじめての
成長であり、安心
物事が正しく有る、
自由度があって、頼りがいがあって、趣味が高い
どこでもイマジネーションで生きれる
いくら見つめられても、私とは、見つからないのだ。
「ジェニーはどこだ」という歌がある。必死に相手を探す歌だ、もしそんなことをあなたがしたら、
私は好きになる。妥結のない緊張感は美しくないし、
続きもしないさ。
いくら押さえられたとしても、結果も大事もどちらも私は思い出しはしない。
このことを、このことだけを、あなたは覚えていくのだと思う。
はじめから言って欲しかった。
「すべてが徒労だ。」と云えるくらいには、好きだった。
故、だからこそ諦めた。
真実とシンジツは違う。「私」はシンジツを殺すのに必死なの、疲れた。
レポ
いる、いてくれてるというのが、現実でない時でも、現実が終わらないのは、
人間には肉体の厚みと間合いが有って、
判断を超えるからです。
「対話」によって、その客観性を確認するときに生まれたての幼い主観、主体を育てるしかなく、
その間、
考えもしない驚きの思考や、主体とはなにか?等の問いかけを思い、上記の行為から「大切にする」何かだと分かるのです。たとえモノになる主体とは、一段死を抱えることとして、男に立ち向かう裸の女、の客観性。さらに、その道程に襲い掛かるゴーストや、その他険しさと、未知。辿り着いたナイトクラブ。
学びは、
魂が一つのことと、魂が同じだ、ということは、言葉が違い、言葉が違う、差異があることから父母から離れ、且つ自立している心の存在を見るが、それが完成だと云い難い、魂は皆一緒だったら、その何かは理解をしないけど向かう為に、全体的な歯車の「一個」になる私、主体、は、モノになった意味として理想として働いている。全く諦めていない。知識貯蔵庫に収められる私、としても、「一つ」の愛が叶わぬわけというよりは、もっと悲しみの中に「いて」、物語が実はもっと長いのだと「知った」。冒頭からここまでのこんなことから(私も)煙草を吸う。
主体が、「大切にする」何かだと分かる、このとき「ある」こと、一定の相手が「ある」こと。
父母から離れる、自分と一体であるはずの父母と、自分の心。
数年がもし過ぎて、懐かしいような鮮やかな顔をもう一度見たとして、
その時も、やはり好意を思っても、拒否しないし、
あなたを哀しむことが恐くないのだ。
その時は誰かと結婚していたりして、欲がないから。あなたも、そういう人を
見つけて。