ポエム
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聖なるものとの対応型を目指す





イエイエとは、かつて私の


首根っこをひっつかんで


女だと思って、


自分の心の小ささを、


際限なく欲深いことを、


輪の中でも端のほうなのに


そんなことを「龍」と思い込んで、


動かず、


人にたいしていつかわからせると言い


画家である、ロマンチストである、


そんなことを未だに、


許される方を選んで


人の愛をころすのだから、



お前が「神」なら、


なおさら聞く


私は「殺す」と思って、


しかし、何だか滑って、家族に刃向かってしまったのがお笑い。


十年間、家族は私を哀しみ続け、閉じ込めていた。


ひょんと顔を出した時、歳を取り洗練深くなった私の太鼓の音を


聞いたら、一転してそれは喜ばれた。


(かえる ということばを知ってるだろうか?

大阪の、かつてリョウやミンミと遊び、

ナル・スイートと云う気の良い歌手が、その家族、私の小さな恋人だ。

今も美しい店を持って、“ダンスパーティー”をする。耳のいい逞しい夫(ふ)。)




心にたいして、「常識」といわれ、

しょげたのは、


それゆえ、イエイエにケツで蓋をされたことが


あるからだ。「お前の喧嘩か?しら。」なる が、


体中に響く、静かに歌った。


ころんと柔らかい花の歌。
























見つめて居る自然とは



何となく神のそばにいるだけでいい


大好きです、なんて言えない


人が、神を好きだからだ


だからおれはキツネに宿ることを


何と人に許されたからだ



神が何とそれを聞かれるのだから、おれは睨ませ座っていることが出来る。



それが、神社 なのだ。




アマテラス、南無(しゅくふく)。






地平を超えて、無限的な宇宙(仏) もあるけれど、



私たちとは、善というひとつの「線」がある。


「白」という色は生まれ、


よって、その色ゆえに、穢れにたいしても、知るのだが、


仏の輝きによってすっかり忘れてしまった



のだ


何か違うだろうといつも思いつつ。。



罪悪感をいたずらにもたず


「私はこのようにあります」神社でそう言う練習をしなさい。


自分のことがわかって来ます。


「罪」について、否、なにか「美」にたいして、


(たんなる「罰」と異なる為)



それを勉強してる人は、それをお続けください。


わたしどもに知れない「知」があるでしょう。





知の責任について、背が高いぶん大変重いものを持ってらっしゃるから、



日本人こそはそれを、自身の自覚や、學び(習得して更新しながら覚えること)、

恐怖体験から「肝」と「心」を得て、


話しかけ、暇つぶしになってあげることです。


「質問」に的確にこたえる事が出来たらハナマル。
















聖なる者だけが、「けがれて居ますよ」を言うが


せせこましくて、姫コスで高ビーになってしまったフォローと、


誤魔化しと補足が続く。






「けがれの意味」をわからない間は、恋愛も出来ないようです。











































22/01/02 14:15更新 / 待作



談話室



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