木のセカイ
これは古代の、入れ墨。
何か高度で数学的なような、色んなのろいにたいして優しくあるような、
ひとそれぞれのいろんな模様。
マイニチ、「キモイ」と思っていることが、実はとんでもなく憧れて居て、
かっこいいことだったりした。
そんな驚きが絶えなくて、恋愛などはおろそかである、ところが、
「大和」の、すこしだけまぬけな、うつくしい神を、
一人の私の影から、人が思い出すことが
そうして行くところが、
誇りの正しい形を
磨くところは、
まるで宝石が出来ていくみたい。。
ゆっくり&のんびり。
口はすこぶるキツイけど、
神様やあることを思い出したときは
まっさきに近くの「おなご」たちを
心配したりもします
今日の知らせたいことは、
韓国人のひとが、たまに私たちに向けて
御祈祷をされます。表される「漢字」が、
目にも見た目にもわからないような
字です。
繁栄の祈りなどありますが、
直面した時は憤っても手を上に合わせる。
民族をやってるな〜、という気に必ずなる。
「どんな嵐も大丈夫」、そんな思いが込められている。
私が感動したのは、こっちが、頷く前に、既に手を繋いでくれているんだ、彼らは、
自分より先にもう海に出てるんだ。
と、知ったこと。
民族や、高い精神性ほど、色んなものを通り抜けて
貫通して伝えることが出来る。
闇も、悲しみも、うれしさと悔しさも、祖が生きたあと
私たちのひかりとは、何だろう?
こう考えている今、なのかな?
祖と一緒に考えていく。
目に見えない光や、祖とともに。
いとも可愛い祖の上に居るのが、如来等とも違う日本の「古来仏陀」かも知れない。