ポエム
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リアルな重さの感覚
悲しみは性欲の未消化とも云う。




悲劇とエロをなぞって求める事から、立ち上がり、飽きる頃とは、





自身のアートの始まりなのだ。





笑うこと、喜劇には筋力かいる。





フォレストガンプのように真実を求め、大阪を半ば行ったり来たりし、




心中では劇的な旅をしている。若干勇気と、忘我忘失を「諦めた」強い年齢意識と、自意識の、その結果が、相手に増してブラックジャックに救われたように、




もう一度生きる時間を能わってる。





青春時代や、昔から、何かに憧れたりすることが全くない程、無気力だった。




その中でもやはり対局で、美しい物は、近くに転がっていて、




死が、醜い。と云われるようになったのだから、ますます生きてることも隠すようになった。



人や物事から距離を置いて、



私はある音楽テープを聴いて素晴らしく感動していたが、





「何か良い事がある。」と云う言葉さえ無い平和のうちに、その中で首を吊って死ぬ者だと、自分をそう思ってたので、




くじけてはいないが、自惚れてはいない態度として助かりたいと願った。




涙、排泄物、体重、色んなものに潰れて、その微笑みがやけに綺麗だったらしい。



その時に、美しさ、後天的な想念のタイトルを船にして、





まさか命を試すような事は完全にしなかった、その態度と経験や哀しさの数が、気高い「自分」の前提だったから。





ただ繰り返し経験する人をおいて、嫌悪と好きがあったから、自分ら子供だけで、行った。





出会った闇は、参ったが、闇はと云う考察を得た。





だがますます死っぽくなった。




例えば何事も起こらないことが、私の望みだった。

何者とも結婚しようなどとは夢にも思った事がないのである。

執着せず固まらないで考えると、

少しは、恋などは受け入れ

自分の付ける、終わりまで見て行こうと思う。

「母」が、急に死ぬとかは、全くの何事かで、



そこまで行くと罪というもので、


消えたくても生きてる人をみてきたから、消えるって願望を叶えるような雰囲気はとても嫌い。


どちらでもない人は、どちらでもないまま、その額縁をぶら下げて死ぬときまでそうすべきだ。


そうしないあなたを私は見れない。愛して欲しい。停止しろって云ってるんじゃない、



火のようにブレて、軸を持ち、柔らかく生きると云ってる。






昨日の写真は芸術と思って出したのだが、



PCで見ると目が粗く、わからないものであったので、



引っ込めようと思う。



何事かを、


何が嫌でも避け、回避し、

卵と牛蒡を食べ、細く生きる。
21/10/27 11:10更新 / 待作



談話室



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