ポエム
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祀り
「有りて無い」とは、有ることは有る、と云う態度です。
在るところに在ると云う言葉。


「成る」と云う言葉がある。
私たちは会話上で、時に成り立った言葉や微笑みなど、そういうものを、そう云うものが何か約束になる、という意味である。桜のような淡さで、ゆっくり進む情けの様なあなた〈言葉〉と私〈言葉〉という関係。
何年か何百年毎に行事される天皇陛下の祀事では、今日遥か時代を超えた「成り」で
何かを学んだり感じたりする。
何年もかけてする。






ほんとはそこに花があるのになさ過ぎる。
時間が裏切らない気配だけがする。きっと大丈夫だ。
私について話をしよう。 美、恋、慈悲、何が裁かれていようと「私(I)」が憎しむその敵はいつだって当人一人で、彼と「タイマン」を望むなら、神は許すものである。 血縁者、幼さ、理由がいくつあっても憎しいというのは、そこに「わかってもらいたかった」という哀しみがあり、私が忘れず記憶にしているのはとんでもない悪意
が自身に歯向かった時自分が覚えれる範囲の痛みである。
持ち続けた痛みが、時代も関係なく損失させられた愛を探すのである。罰を、苦しいので人はそこまで考えないが、例えば、私の先祖が殺人をした娘を庇った、墓にも入れた。子孫に悪さをして困ってる拝んだところで守護霊を言い張る。このややこしさが、祀りのそこでスポットをあてるように明らかになる。私が先か魂が先か、こう云う深い瞑想が時にされる。 祟り、祟るとは、哀しみをくらっても愛す努力を失わなかった実際の高さであり、周囲を傷つけたり「自分を呪う」とも違って、限られた者の言葉であり、これは生きた「人」が為す愛なのだ。知るほどに人は怒り哀しむから、敢えて人間を神と治め、長い時を待った。和のとき思想から昔まつってたらその乗りでかわいそうだとして、他人血を取った 罪以外責れない。何かを知ったあとと知る前とあなたの何が変わるか。そう云うと、人を迂闊に怒れない。「何をしに来たんや」

悔しさ辛さは乗り越える事の可能な、これまた人生だから。


祀りが、心的に「祭り」にかかってるんだなぁ、と何となく知る私たち。知ることも学びにも人にペースがあり、理解を求めにくい人は避けている。喧嘩になったら終わって終わらせてしまうタイプの人のようである。「下の人に負担がかかる」のが祀りの原因で、何かと悲し過ぎることもあるので、過ごす、ことの季節を待つ。 ほんまは天皇は、偉いことよりも人っ気があるということに私は穏やかな憧れとまた意思を生み、いつも人波に埋もれるのは当然だが、押し戻されてのうのうとしている。 その意思がやけに夢だけで出来ていて、国民というよりは、憧れた一軍一人の感じた天の心地の記憶が確かなのは、「成る」からである。格好が良いとは、支極は仕事をしているとか、身なりを整えているとか、だけど、かつてこの辺で戦士の勝負があったのだろうか、ここで負敗している私とは何か?をもやもやさせる気付きです。男だとか女だとかに回らず、回避せず、本当の闘いをしたい。
heart!は真似が出来ないし、「心」は見る事が出来ない。「心」には裏と表とがある。

人間が迂闊に笑わないから、心の確認など何かと自他を信用して居る。可笑しくて可笑しくて、かくれて笑む。間違っても人に晒さない。
21/07/03 12:30更新 / 待作



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