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第101章 おじいはん
おじいはんの絶対見せたかったものは、隣の亦おじいはんが作った模型である。
週間少年ジャンプのチェンソーマンがモデルになってて、何やらめちゃ怖い。私の同人誌を勝手に茶の下敷きに使って、始まった喧嘩が口喧嘩でおさまらず、「かかって来いや。」と服を脱ぐおじいはん。題目はテレビで見た長老クイズで有る。自分が悪いのに誰かや云うて、もうそれさえ忘れる。
仏壇をナメながらカッコをつけて、あわよくば、死にたいとか桜の様に散りたいとか、年寄りを偏見する若者の姿に、自ら触れながら、登場させた恐怖マシンの模型で有る。
「ボケない、悪いことを悪いという。」
その言葉で小さくなったおじいはんのナイフ、チェンソー。
そんなものはさりとて骨董品とは違うのだ。食えない魚はちゃっちゃと海に返し、ちゃんと自分の好きなことをして、これを繰り返すさなか、地平線でビーチボールの様に浮かぶおじいはんの作品。何かを避けることが、何かを選ぶわけではない。何かを避けることが、それを選ばないわけでもない。強さを真似ても、気付かれる事は無いのだ。文脈ばかりが、現実を彫る事とも違うし、何に自分が魅力を感じて居るか、これに対して傷付くときに何の隙も無くなるだろう。
そういうのを、一瞬で汲み取る力とは?
既にその秘訣と強さを知るおじいはん。
「何も知らんかったわ。」と笑うおばあはん。

賢さや強さや格好の良さや素直さ、その全てのパスワードとは、人の誠の傷にただ気付いて居ることだ。老人からの「許可」は、そこに得るものが有る。週刊誌の写真で見た「今」より、自分自身の脈絡の方が「今」と云う概念に近付けるのだ。
21/06/28 09:33更新 / 待作



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