神影
果たせる哉、例へば闇夜が神の影とするならば、
それは成程、∞を呑み込む様相といっていいのかもしれぬ。
何故に神に∞が纏はるのかは、人間の知が∞を前にすると、
屈服するしかなく、
それでも人間は∞に立ち向かふのであるが、
馬鹿らしい、
人間の知の限界がまた∞を前にすると俄かに露はになるのだ。
∞を表象しやうとじたばたした人間の五蘊場には
既に知恵熱で破綻しさうな堂堂巡りに没入し、
そのあっぷあっぷしてゐる中で、
人間が仮に∞の尻尾に捕まる事が出来たなら、
それは儲けものに違ひない。
それを例へば神影と名付けるならば、
神影は絶えず人間の傍に潜伏してゐて、
気付かぬのは人間のみなのだ。
例へば夜行性の動物はそれだけ神に近しいものに違ひなく
闇の中で、つまり、神影の中で自在に動けるそれらのものは
多分、人間以上に神を知ってゐる筈なのだ。
獣が毛に蔽はれてゐるのは、
毛が神に近づく姿の基本で、
体毛を極極僅かにしか軀に留めぬ人間が
此の世で一番神から遠い存在なのは間違ひない。
それ故に人間は宗教に毒され、また、狂信的にそれを信じなければ、
一時も安寧を得られぬやうに創られてしまってゐるのだ。
そして、宗教から此の世で一番遠い存在の人間は
狂信的に宗教に煽られて、
同類で殺し合ひをその人類史と同じ長さで続けてゐるのだ。
それならば、闇を信仰の対象にすればいいのであるが、
既に人間は闇を信仰の対象としてゐて、
然しながら、それは光あっての闇でしかないのだ。
しかし、それは偏向した神に対する接し方で、
闇そのものが主神である宗教体系が作られなければ、
人間が神に近づくなど烏滸(をこ)がましいと言ふものだ。
その時、お前は作麼生(そもさん)と言ひ放ったので、
俺は思はず説破と応じた。
――何故に人間は闇を畏怖したのか。
――畏れ多いからです。つまり、人間も闇が神でしかないと言ふ事を本能的に知ってゐて、それ故に神を疎んじたのです。何故かと言ふに、神は戦好きと来てゐるから手に負へぬのです。そんな物騒なものは早く消したく、人間は火を使ひ、さうして神たる闇を遠ざけたのです。
――ならば、もう一度闇に対する信心を復活させればいいのではないのか。
――いや、人間は一度光を制御できる術を知ってしまったならば、闇なんぞに構ってゐられぬのです。光の下、人間活動は続けられ、さうして人間は更に神から遠くなるのです。神から遠くなる事が、つまり、人間らしいと言ふ皮肉に気付かぬまま、光を神と信ずる錯覚の中で、一生を終へたいのです。
俳句一句短歌一首
闇夜には神が坐る月ありて
捨つるのは何か知らぬがその俺は一目散に吾捨つる
それは成程、∞を呑み込む様相といっていいのかもしれぬ。
何故に神に∞が纏はるのかは、人間の知が∞を前にすると、
屈服するしかなく、
それでも人間は∞に立ち向かふのであるが、
馬鹿らしい、
人間の知の限界がまた∞を前にすると俄かに露はになるのだ。
∞を表象しやうとじたばたした人間の五蘊場には
既に知恵熱で破綻しさうな堂堂巡りに没入し、
そのあっぷあっぷしてゐる中で、
人間が仮に∞の尻尾に捕まる事が出来たなら、
それは儲けものに違ひない。
それを例へば神影と名付けるならば、
神影は絶えず人間の傍に潜伏してゐて、
気付かぬのは人間のみなのだ。
例へば夜行性の動物はそれだけ神に近しいものに違ひなく
闇の中で、つまり、神影の中で自在に動けるそれらのものは
多分、人間以上に神を知ってゐる筈なのだ。
獣が毛に蔽はれてゐるのは、
毛が神に近づく姿の基本で、
体毛を極極僅かにしか軀に留めぬ人間が
此の世で一番神から遠い存在なのは間違ひない。
それ故に人間は宗教に毒され、また、狂信的にそれを信じなければ、
一時も安寧を得られぬやうに創られてしまってゐるのだ。
そして、宗教から此の世で一番遠い存在の人間は
狂信的に宗教に煽られて、
同類で殺し合ひをその人類史と同じ長さで続けてゐるのだ。
それならば、闇を信仰の対象にすればいいのであるが、
既に人間は闇を信仰の対象としてゐて、
然しながら、それは光あっての闇でしかないのだ。
しかし、それは偏向した神に対する接し方で、
闇そのものが主神である宗教体系が作られなければ、
人間が神に近づくなど烏滸(をこ)がましいと言ふものだ。
その時、お前は作麼生(そもさん)と言ひ放ったので、
俺は思はず説破と応じた。
――何故に人間は闇を畏怖したのか。
――畏れ多いからです。つまり、人間も闇が神でしかないと言ふ事を本能的に知ってゐて、それ故に神を疎んじたのです。何故かと言ふに、神は戦好きと来てゐるから手に負へぬのです。そんな物騒なものは早く消したく、人間は火を使ひ、さうして神たる闇を遠ざけたのです。
――ならば、もう一度闇に対する信心を復活させればいいのではないのか。
――いや、人間は一度光を制御できる術を知ってしまったならば、闇なんぞに構ってゐられぬのです。光の下、人間活動は続けられ、さうして人間は更に神から遠くなるのです。神から遠くなる事が、つまり、人間らしいと言ふ皮肉に気付かぬまま、光を神と信ずる錯覚の中で、一生を終へたいのです。
俳句一句短歌一首
闇夜には神が坐る月ありて
捨つるのは何か知らぬがその俺は一目散に吾捨つる