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流れる雲に
《吾》の頭上を流れゆく雲は
絶えず変容して已まぬのであるが、
その中で《吾》は、
流れる雲の如くに絶えず変容してゐると断言できるのか?

仮に《吾》が変容する事を一度已めてしまったならば、
果たして《吾》は《吾》足り得るのか?

あの空に浮かび、風に流されゆく雲は、
気圧と気流と水蒸気との関係から、絶えずその姿を変へるのであったが、
《吾》にとって気圧や気流や水蒸気に当たるものは何かと問へば、
それは《他》と《森羅万象》と《世界》、つまり、《客体》と答へればいい。

雲が姿を変へるのは雲の赴くままに全的に雲に任せればいいのだ。
雲は雲にも宿ってゐるに違ひない《吾》が為りたいやうに変容してゐるのではなく、
雲を取り巻く環境、若しくは《世界》に応じて
無理矢理とその姿を変へるのだ。
それでも雲を見る度に
雲が己自体で姿を変容してゐると見えてしまふ此の《吾》のちっぽけな哀しみは
《吾》が《世界》を認識出来ぬ焦りからか、
《吾》が《吾》で完結する夢想を今も尚抱へてゐるに過ぎぬのか?

このちっぽけな《吾》は
絶えず《吾》でなければならぬのだ。
さうして初めて《吾》は《世界》を認識し得るのだ。
さうして初めて《吾》は《吾》と呼ぶがよい。
そして、《吾》もまた《世界》によって変容を強要されるのだ。

ざまあみやがれ!
さうして《吾》は自嘲出来、
たんと此の世に佇立する。

そんな《吾》の頭上を雲が変容しながら流れゆくとき、
《世界》は、《森羅万象》は、《吾》を自嘲する嗤ひ声の大合唱に溺れ行くのだ。
――ぐふ。嗚呼、何故に《吾》は《世界》に《存在》し得るのか?
19/11/20 21:17更新 / 積 緋露雪



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