出立――坂本龍一の死の報に接して
今日、2023年3月28日、坂本龍一が彼の世へ出立した。
享年71。
坂本龍一の作品を色色と批評したり、
Reviewを書いたりしてきたが、
一つ言へることは
坂本龍一はYMOで時代の寵児となったことにも反して、
一貫して反時代的な音楽を作ってゐたやうに思ふ。
反時代的だからこそ、普遍性を坂本龍一は音楽で獲得できたと思ふ。
静と動のその微妙な間(あはひ)にのみ拘り続け、
音が立ち上がることのその意味を多分、一生問ひ続けてゐたのだらう。
その苦悶の時は今日終わりを告げた。
だからといって、坂本龍一の音楽は、
これからもずっと大衆に聴き続けられることだらうが、
果たして坂本龍一はそれを臨んでゐたのかどうかは解らない。
唯、坂本龍一は死んだがその遺した作品群は
絶えず誰かが演奏し、百年、二百年と演奏され続けられるだらう。
それでいいのだと思ふぬ。
時代は絶えず人間が遺したものを篩ひに分けて、
ほんの少しのものを時代を象徴するものとして刻印する。
人間が死んだ途端にもう、死者の競争は始まってゐて、
死者の遺したものは他人の評価に晒されるのだ。
さうでなければ百年単位で生き残る作品はない。
坂本龍一もその仲間に入ってしまった。
合掌。
享年71。
坂本龍一の作品を色色と批評したり、
Reviewを書いたりしてきたが、
一つ言へることは
坂本龍一はYMOで時代の寵児となったことにも反して、
一貫して反時代的な音楽を作ってゐたやうに思ふ。
反時代的だからこそ、普遍性を坂本龍一は音楽で獲得できたと思ふ。
静と動のその微妙な間(あはひ)にのみ拘り続け、
音が立ち上がることのその意味を多分、一生問ひ続けてゐたのだらう。
その苦悶の時は今日終わりを告げた。
だからといって、坂本龍一の音楽は、
これからもずっと大衆に聴き続けられることだらうが、
果たして坂本龍一はそれを臨んでゐたのかどうかは解らない。
唯、坂本龍一は死んだがその遺した作品群は
絶えず誰かが演奏し、百年、二百年と演奏され続けられるだらう。
それでいいのだと思ふぬ。
時代は絶えず人間が遺したものを篩ひに分けて、
ほんの少しのものを時代を象徴するものとして刻印する。
人間が死んだ途端にもう、死者の競争は始まってゐて、
死者の遺したものは他人の評価に晒されるのだ。
さうでなければ百年単位で生き残る作品はない。
坂本龍一もその仲間に入ってしまった。
合掌。