〈葉蔭の宿〉
白い鳩が舞い降りたと思うや、すぐに飛び立っていった草むらに、彼女はそっと腰を下ろす。
と、震えるようになる。"どうしてこんなにも優しいの"と、吹き渡る風に水色を見ていた。自分はいま、鋭角的で雁字搦めの秩序から解き放たれて在るのだと思う。
……"あっ、すいません…503号室の鍵、ありました(!)""おいおい、しっかりしてくれよ本当…"
すぐと、せわしない足取りで部屋に向かう。こんな折りに限って散らかす輩だ(!)
一つ、また一つとゴミを袋に入れていると室内が華やいだ。雲間から朝日が覗いたのだろうと輝かしくも、静かな静かな気持ちになって、一つ、また一つと決して身体をガタつかせない滑らかさで点と点を繋いでいく―
―「おうい!どんだけ時間かけとるんや!はよう来て草取り手伝わんかい!」
「すいませ~ん!」と叫ぶや自分が黄色くなった。いまは新緑の季節なのにまるで晩秋、のような気がした。なんてやさしい物哀しさなのと、世界に酔いかけてしまったから、ササッと意識的に手の動きを素早くして平坦な秩序へと戻ったのだった。
夜。「いらっしゃいませ。ようこそ〈葉蔭の宿〉へ」「なぁ、ちょっくらまけてくんないかな?長旅で散財しちまってさ」と、同い年ほどだろう彼はニカーっと笑う。「ちょ、ちょっとお待ちいただけますか?いま責任者、呼んできますので!」「や、いいよいいよ。なら、定額ちゃんと、払います!」と、今度はしゃちほこばったように彼は言う。「申し訳ございません。ではご案内しますね」…
…そうして私は、彼の前を歩いたのだ。その流れるような感情の波に、洗われつつも悔しい思いをしながら。
それでもなんだか、そんな自分が愛おしい夜だと、上の階で寝息を立てているだろう彼の寝顔を想像しながら、彼女は女に憩っていた。
弱くとも凛とした、そんな花でありたいと願いながら、宿屋に生きる娘の夜は更けてゆく。