ごめんなさい(苦笑)
感想欄にて、木内さんへの返信で次のように書きました。
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木内さん、感想くださりうれしいです♪
ただこの投稿をもって、小部屋での活動は最後になるかもです。流れ星のような抒情歌と書きましたが、それこそ"会話"でいいんじゃないかと、きょう仕事してたらビビッときまして(笑)(笑)
ちょっと前はホント、詩や文を書いてる自分こそほんとうの自分だって、そう思ってたんですけど、リアル会話の、素で当たってみたりちょっぴり演じてみたりとかの塩梅には、ほんとう尽きることのない豊かさがあるような気がして。そこで泳ぎさえすれば人生十分なんじゃないか、いやむしろ、こと僕にとってはそちらの方がずっとピュアな生き方になるーそう静かにゆっくりと、確信めいたものがせり上がってきたんです。
もともと言葉と自分は、どうも相性が良くない(笑)仕事中も言葉が渦巻いて止まらなくなることなどザラで、それは言葉が繋がれば作品になる!との高揚があったからです。仕事中であれアパートであれ、適度に言葉が踊っているくらいならいいですがすぐにいわばとどろきはじめて(仕事しろ!笑)仕事中はもちろん集中が削がれますし、アパートでも正直、言葉に追い立てられてるみたいで
あまり気分が良くないときが多かったんです(汗)
これからは落ち着いて、現実的な言葉の勉強を、語学の勉強の方をちょっと頑張ってみようかなあ、と。理由は聞かないでください(笑)馬鹿丸出しかもですが、僕はもうそんな生き方しかできないみたい(苦笑)木内さんもお元気で!みなさんに、目一杯のありがとうを☆♪♪
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しかし!(笑)(笑)
17時にアパートに着いてから21時半までの、4時間半。映画2本見られるくらいの時間を無為に過ごすなんてありえないーそう認識をあらためました。
ちょっとやぶれかぶれになってたかな(笑)ただやけに冷静にはなってて、自分の実力が初めてはっきりクリアに見えた気がして。どんだけ努力しても詩人にもエッセイストにもなれないし、それこそここでいいねもらいまくる人にも、たとえばnoteなんかで人気になることもできないだろう、と。それやったらすっぱり諦めて現実に生きよう!それこそ清い生き様だーそんな心の流れが大きかった気がします。
でもついさっき語学の勉強に数独とがんばってたら、詩作や散文への得もいえぬ郷愁めいたものを感じて。語学も数独も、とにかく無駄なことを考えないよう考えないよう努力する活動で、僕は大げさながらなんだか、自分が定められた目標へと一直線で向かっていく機械みたいだって感じたんです。でも詩作も散文も逆で、いろんな方向に漠然とイメージだとか感覚だとかを広げていって、僕(たち)はいわばそれらとつかの間「遊ぶ」。やっぱり遊び心がないと心は萎れていってしまうと思うし、現に久々にちょっと勉強に打ち込んでみただけで早くも萎れそうになっちゃって(弱い 笑)、ほとんど反動みたいにして、この文章を書いています。
会話もいいですが、ほぼ昼休みだけだし、絶対量として足りていない。帰ってから一人なわけですが、この一人というのがおそらく良くない。直感的にも、僕なりに勉強してきた科学的知見からも、そうほとんど確信できる。たとえば愛する人がいる方なんかは、その人と自由に語らうことがそのまま心を遊ばせることになると思うのですが、そこは独り身の僕のこと(苦笑)。そして僕が、一人でいながら最も孤独感をやわらげることができるのが、ここに投稿することなんです。読書でも映画鑑賞でも、ダメ(笑)
そんなわけで、自分を伸びやかに開放する活動として、やっぱり小部屋への投稿は続けていくことにします。お騒がせして申し訳なかったです(苦笑)
言葉が渦巻いてきてしまう癖については、メリハリを意識して、帰ってからが文章の時間と、そうしっかり枠づけすることで乗り切れればと思います(朝はマインドフルネスに、語学と数独と、朝と夜を対比させつつ)。
自由で伸びやかな、そんなコトバを紡いでいきたい。