表現の自由?
表現の自由の自由とは、人を傷つけない限りでの自由ではないか。人の容姿を嗤うような詩、絶望している人を茶化すような詩。論外だと思う。
ただ難しいのは、たとえば容姿を嗤うような詩があるとしても、作者が自らを突き放すために書いているという可能性は否定できない。自らを軽く嗤い飛ばすことで、逆に前を向くという。
だから実際のところ、詩の1篇や2篇だけでは判断することは難しいだろう。しかしではその作者が、常時デリケートな事柄を嗤うような詩を書いていたら、どうなのか。それも書き飛ばすように書いていたら、どうなのか。
作品に人となりは現れる。1つや2つごまかせても、その総体はたしかに、揺るぎのないある1つの人格的印象を僕たちに伝えるはず。コンプレックスや劣等感、絶望、悲哀…みんな、詩のためのオモチャじゃない。
詩というのは、良くも悪くも人に影響を与え得るもの。であるならば、詩を書く人間にはある種の規律が求められるべきだと、僕は思う。