ポエム
[TOP]
僕はアメリカを応援していた
昨夜の五輪の野球の日本とアメリカの決勝戦で、僕はアメリカを応援していた。僕はアメリカの選手たちに親近感を抱いていた。自分とかけ離れているように見えるがゆえの興味関心があり、その積極的な関心が、ひいては親近感を連れてきているようだった。

彼らはやはり日本人とは違っている。なによりガッツポーズの勢いが違う。喜びの表し方も派手だ。それは怒りの感情なんかにしてもそうで、彼らは日本人よりずっとあからさまだ。僕はまず単純に、そんな彼らの勢いや激しさといったものに関心を持った。

けれど何より惹き付けられるのは、その裏面のようにして彼らが見せる物憂げな表情だ。彫りの深い彼らのそんな表情には、大げさに思われるかもしれないけど、この世界の静謐な深遠とでも言うべきものに浸っているかのような、そんな神秘的なものを、僕は感じていた。

ところで、僕はメジャーリーグの中継をたびたび見てきた。ダルビッシュがメジャーで活躍し始めた10年近く前から見ているから、けっこう年季が入っていることになる。僕が言いたいのは、それにもかかわらず、アジア人以外の彫りの深い彼らに対して、彼らが明確に自分からかけ離れたところにいるのだという感覚はまったくもって消えていないということだ。たぶんだけど、少なくとも僕の場合には、人に対する人種を越えた認識というものを得るためには、それこそごく小さな頃からさまざまな人種の人々に慣れ親しまなくちゃならなくて、その時期をすっかり通り過ぎた今、どれだけ彼らに相対してももう遅い―そういうことなんじゃないだろうか。けれど見方を変えればそれは、僕が生きている間ずっと、彼らが飽くことなく異国情緒を連れてきてくれるということだ。それはそう悪いことではないはずだと、僕は思っている。

中でも僕はニック・アレンという白人の選手に親近感を持った。パッと見て彼は小さかった。調べてみると175cmだという。たしかアメリカの成人白人男性の平均身長は176〜178くらいだったはずで、彼は一般人の平均にも満たないことになる。僕も169cmと小さめで、やはり日本人の171,2cmに満たない。身長だけをとれば、彼の日本人バージョンが僕のようなものだと思うと、僕はますます親近感を強めた。彼はどんな性格なんだろう?どんな家に育ち、どんな学生生活を送ったのだろう?そんな想像が、広がっていく。僕はそのなかで、彼と同じところを数え始める。朝はいつも新鮮な気持ちになるところ。人にありがとうと言われると嬉しいところ。すべての人と仲良くできるわけではないところ。いつも気高くありたいと思っているところ・・・。僕は日本の日本人で、彼はアメリカの白人。そんな絶対的に見える違いのさなかで、それでもあまたの"同じ"があふれている―それを思うと、僕の胸は瑞々しさでいっぱいになった。
21/08/08 10:49更新 / 桜庭雪



談話室



TOP | 感想 | メール登録


まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35c