ポエム
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どこまでも細やかな慈しみ
僕はとあるアラフォーの女性について思いを巡らしている。彼女は美人というわけではないと思うけれど、とても整った顔をしている。大きくもなく小さくもないバランスのとれた骨格に、三日月のように細く綺麗な目。40頃の女性の持つ和やかな雰囲気と相まって、僕は彼女が菩薩のようだとすら感じる。

僕は彼女を見ていると、自分があたかも奈良時代にでも生きているかのような錯覚を覚える。僕は自分をその古代への幻想的な感情に浸るままにする。情報なんてほとんどない。身近な人たちとの生活と仏の世界がすべてだ。大谷翔平が遠のいていく。

彼女は未亡人で子もいなかった。近所に住んでいる彼女とは、通りでたまにすれ違うと挨拶を交わし合った。行事のときには、段取りについて細々としたことを話し合ったこともある。でも、それだけだった。でも、それでよかった。仏壇のお釈迦様の顔に彼女の面影を探りながら、言葉を交わせたそんな瞬間を思い出しては、僕は感極まったようにじいんとなっていた。あんな優しく包み込むような声を僕はかつて聞いたことがなかった。僕はいまあの彼女を通して、あの彼女だけを通して世界と、あの世も包み込んだようなこの世界と繋がっているのだと思うと、胸中を不思議な誇りが湧いてくるようだった。

ある冬の雪の朝、墓参りをしていると、遠くの墓石の前で彼女がお参りをしているのが目に入った。彼女の深遠な祈りの気が、墓地の空気を一瞬で崇高なものに一変させたようだった。僕はその霊気とでも言うべきものを思い切り胸に吸い込むや、彼女がこちらを振り向かないうちに踵を返して家路を急いだ。 風に斜めに吹かれ続けている粉雪は、彼女のどこまでも細やかな慈しみの象徴のようであり、また彼女の深遠から隔てられた僕の侘しさの象徴のようでもあった。
21/08/07 11:43更新 / 桜庭雪



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