a型作業所でお世話になった所長さんのこと
僕は2年近く前までa型作業所にいて、そこから卒業という形で今の会社に就職した。そこでお世話になった5歳下の支援員の女性についてはたびたび書いてきたけれど、考えてみれば所長さんについては―脇役として登場してもらった以外は―まったく書いていないことに気づいた。今日は有給休暇で、僕は長く退屈な時間を持て余していると、ふと彼のことがありありと胸によみがえってきたのだった。
彼は今60代前半だ。3カ月ほど前に作業所に顔を出したときにも思ったのだけど(そして僕は支援員の彼女と話し込んだ)、他の壮年期の人たちと同様に、彼にもやはり、高齢期に足を踏み入れようとしている人特有の淡白さというか、そういうものがある。それはまた、瑞々しさというものを遥か遠くに置き忘れてきたかのような、ある種のがさつさでもある。
僕はその後電話でも彼と話したのだけど、彼は彼女のようにはこちらの意図を汲み取ってくれない。彼女は8割方、まさにそれが僕の求めていた返事なのだと言いたくなる返事を、ぴたりとピースを嵌め込むようにしてしてくれる。けれど彼は逆の感じで、僕の発言の内や底とでも言うべき場所から返事の内容を立ち上げるのではなしに、大まかな意図を掴んだら後は自身の語りやすさを優先させるようにして、あたかも持論を展開するかのような口振りで―それもやや長めに―語るのだ。そこではこちらの発言に含まれていたはずのさまざまな感情は、単一の単純なものとして受け取られたかのようなのだ。端的に言えば、彼は微細な感情の揺れ(ニュアンスと言ってもいいかもしれない)を汲む能力が衰えてきているように、僕には思えるのだ。
けれど僕は今日、そんな彼を―何様だという感じだが―見直したというか、そういえば彼は自分に自足するということを知っている、このうえなく安定した穏やかな人格だったなという思いが、木漏れ日のような優しさとともに胸に満ちていたのだった。胸には彼の、ざらついた大きめの手のイメージが浮かんでいた。柔らかさとは無縁になって久しい、皺だらけの、お世辞にも綺麗とは言えない褐色のそれは、しかしえもいえぬ趣に満ちていた。それは僕を無骨な温かさとでもいうべきもので包んで離さなかった。
生きるというのは―と僕は思う。足していくというよりは、引いていくということなのかもしれない、と。そうして大切なものだけが、本当に大切なものだけが、残るのだ。
彼のあの笑顔。そこには彼女のような瑞々しさも柔らかさもない。けれどその喜びの純度のようなものは、彼女にだって負けていない。叡智に満ちた文学者のような壮年もいいかもしれない。けれど彼のような純真さこそが、実は年を重ねることで得ることのできる最良の資質なんじゃないだろうかと、僕はこの今思っている。でも彼は、ただ純真というだけじゃない。
心を鍛えることは大切なことだと思う。それには色んな形があるだろうけど、僕はといえば、不動の心と思いやりの心を鍛えるために、毎朝計1時間、正座をしての座禅と慈悲の瞑想を行っている。けれどそうすることで他の人たちを凌駕しようと考えているとしたら、それはおそらく間違っている。そこにあるのはおごりの心だからだ。だから―と僕は思う。僕は"高尚な"人ではなく、身近にいる尊敬できる人たちをこそ目指していきたい。そして彼もまた、そんな人たちの1人だ。
卒業間近のころ、利用者同士の取っ組み合いが起こった。そしてそれは双方が互いの首を締め合うという事態にまで発展した。僕はひっくり反りそうになってしまった。止めなければと焦り、力の強い利用者(彼が明らかに優勢だった)の肩をゆすって止めようとした。けれど彼は一向に手を緩めない。彼女も声をかけたけど、双方譲らずの状態は変わらなかった。そこへ所長さんが来た。彼はみるからに落ち着いていた。「はい、もう2人とも、そこまで!」と、なだめるように、しかし毅然とした口調で彼は言っていた。2人とも手をほどいていた―
みなに分け隔てなく優しく、つねに冷静で、そして年長者らしい貫禄に溢れている。僕もそんな壮年の男になりたいと、そう心から思う。
彼は今60代前半だ。3カ月ほど前に作業所に顔を出したときにも思ったのだけど(そして僕は支援員の彼女と話し込んだ)、他の壮年期の人たちと同様に、彼にもやはり、高齢期に足を踏み入れようとしている人特有の淡白さというか、そういうものがある。それはまた、瑞々しさというものを遥か遠くに置き忘れてきたかのような、ある種のがさつさでもある。
僕はその後電話でも彼と話したのだけど、彼は彼女のようにはこちらの意図を汲み取ってくれない。彼女は8割方、まさにそれが僕の求めていた返事なのだと言いたくなる返事を、ぴたりとピースを嵌め込むようにしてしてくれる。けれど彼は逆の感じで、僕の発言の内や底とでも言うべき場所から返事の内容を立ち上げるのではなしに、大まかな意図を掴んだら後は自身の語りやすさを優先させるようにして、あたかも持論を展開するかのような口振りで―それもやや長めに―語るのだ。そこではこちらの発言に含まれていたはずのさまざまな感情は、単一の単純なものとして受け取られたかのようなのだ。端的に言えば、彼は微細な感情の揺れ(ニュアンスと言ってもいいかもしれない)を汲む能力が衰えてきているように、僕には思えるのだ。
けれど僕は今日、そんな彼を―何様だという感じだが―見直したというか、そういえば彼は自分に自足するということを知っている、このうえなく安定した穏やかな人格だったなという思いが、木漏れ日のような優しさとともに胸に満ちていたのだった。胸には彼の、ざらついた大きめの手のイメージが浮かんでいた。柔らかさとは無縁になって久しい、皺だらけの、お世辞にも綺麗とは言えない褐色のそれは、しかしえもいえぬ趣に満ちていた。それは僕を無骨な温かさとでもいうべきもので包んで離さなかった。
生きるというのは―と僕は思う。足していくというよりは、引いていくということなのかもしれない、と。そうして大切なものだけが、本当に大切なものだけが、残るのだ。
彼のあの笑顔。そこには彼女のような瑞々しさも柔らかさもない。けれどその喜びの純度のようなものは、彼女にだって負けていない。叡智に満ちた文学者のような壮年もいいかもしれない。けれど彼のような純真さこそが、実は年を重ねることで得ることのできる最良の資質なんじゃないだろうかと、僕はこの今思っている。でも彼は、ただ純真というだけじゃない。
心を鍛えることは大切なことだと思う。それには色んな形があるだろうけど、僕はといえば、不動の心と思いやりの心を鍛えるために、毎朝計1時間、正座をしての座禅と慈悲の瞑想を行っている。けれどそうすることで他の人たちを凌駕しようと考えているとしたら、それはおそらく間違っている。そこにあるのはおごりの心だからだ。だから―と僕は思う。僕は"高尚な"人ではなく、身近にいる尊敬できる人たちをこそ目指していきたい。そして彼もまた、そんな人たちの1人だ。
卒業間近のころ、利用者同士の取っ組み合いが起こった。そしてそれは双方が互いの首を締め合うという事態にまで発展した。僕はひっくり反りそうになってしまった。止めなければと焦り、力の強い利用者(彼が明らかに優勢だった)の肩をゆすって止めようとした。けれど彼は一向に手を緩めない。彼女も声をかけたけど、双方譲らずの状態は変わらなかった。そこへ所長さんが来た。彼はみるからに落ち着いていた。「はい、もう2人とも、そこまで!」と、なだめるように、しかし毅然とした口調で彼は言っていた。2人とも手をほどいていた―
みなに分け隔てなく優しく、つねに冷静で、そして年長者らしい貫禄に溢れている。僕もそんな壮年の男になりたいと、そう心から思う。