モスバーガーのロゴが好きだ
モスバーガーのロゴが好きだ。緑の背景に、赤のMの文字。マクドナルドのMがスタイリッシュなMなら、モスのMはいかにも誠実さとか実直さとかが伝わってくる、そんなMのように思う。けれど、いままでを振り返ってみたとき、僕がまず第一に思い出してしまうのは、"マクド"のアップルポテトパイなのだった。
小5の頃、スイミングの帰りに寄るマクドは天国に見えた。いまでこそ安っぽく見える店内は、どこまでも都会的で洗練された空間に思えた。メニューボードが輝いていた。僕はいつもチキン竜田を頼み、お馴染みのフライドポテトに、飲み物はマックシェイク、そしてデザートにパイを頼むのが常だった。みっちりとした運動の後だから、お腹が空いているとはいえ、それにしたって食べていたのだなと、なんだか微笑ましい。少し辛めのチキンの後のパイは別格だった。サクサクのパイの皮のなかの蜜のような甘みに触れたその瞬間を、今でも昨日のことのように思い出す。
まだ体に悪い食べ物というものがこの世界に存在することを知らない、幼き日々は、しかしこのうえなく幸福だったように思えてならない。そこにはもちろん、回顧というものが持つ特有の甘さがある。けれど現実的な側面として、なんだって気兼ねなく食べることができたというのは、やはり幸せであったと言えるにちがいないだろう。
いまの僕はマクドはまず行かない。よほど強く人に誘われでもしない限り行かないと思う。いや正確には、僕はちょうど1年ほど前に女の子2人に連れられる形で入店したことがある。しかし僕は何も頼まなかったのだ(!)。僕は体に悪いものを体に入れるということに、ことほどさように抵抗があるのだ。けれどもう1つ、ファストフードを食べない理由がある。その理由を形作った大学時代の話をしたい。
僕は23の年、大学を留年している身でありながら毎日のように街をぶらついていたことがある。講義に出ることを思うと億劫で、なにより1時間半ものあいだ受身でいるということを思うと目眩がするようだった。友達もなにもいなかった。そんななか、生ぬるい自由だけが自分を待ってくれている気がした。そうして僕は1年の間―退学を決めるまでの間―街へと逃げ続けた。そんな僕にご飯を作るなんてしちめんどくさいことをする気力なんてなかった。僕は昼間は―他大学なのに―京都大学の生協食堂に行き、いつも"さんまの塩焼き"(めちゃくちゃ旨かった)とほうれん草のお浸しを頼んだ。そして帰りにはブックセンターのルネに行って、哲学や社会学の本を立ち読みしては(たまにしか買わなかった。迷惑な客だ)、近い将来批評誌でデビュー(それには学歴は関係ない)する青写真を描いていた。そして朝と夜はどうしていたかというと、僕はなんとポテトチップスの大袋を朝と夜ともに食べていたのだった。弁当を買わなかったのは、自然派の書籍で添加物の危険性について書かれているのを読んでコンビニ弁当に恐れをなしたからなのだけど、 それよりも大量の油を摂取することの方がまずいよねとか、いやそもそも自然派の弁当屋さん探せばいいよねとか、そんなツッコミをしたくなるくらいに視野が狭かったのだ。どこかでこの食生活はまずいなという意識はあったのだけど、僕はしまいには朝晩のポテチを青春の倦怠を気取るためのアイテムのようにしてしまっていた。そうして僕は1年の間、結局ポテチを朝晩食べ続けたのだった。
―
あまりにも自堕落だった23の頃。いま僕は幸運にも、あの日々には決別することができたかなと思っている。けれどいまでもときおり無性に、ポテチやアップルポテトパイを食べたくなることがあるのも事実だ。僕がモス(の、それもハンバーガー)以外のファストフードを食べないのは、あの親を裏切り続けた日々を2度と繰り返すまいとする、そんな決意の現れでもあるのかもしれない。今年であれからもう12年になる。
小5の頃、スイミングの帰りに寄るマクドは天国に見えた。いまでこそ安っぽく見える店内は、どこまでも都会的で洗練された空間に思えた。メニューボードが輝いていた。僕はいつもチキン竜田を頼み、お馴染みのフライドポテトに、飲み物はマックシェイク、そしてデザートにパイを頼むのが常だった。みっちりとした運動の後だから、お腹が空いているとはいえ、それにしたって食べていたのだなと、なんだか微笑ましい。少し辛めのチキンの後のパイは別格だった。サクサクのパイの皮のなかの蜜のような甘みに触れたその瞬間を、今でも昨日のことのように思い出す。
まだ体に悪い食べ物というものがこの世界に存在することを知らない、幼き日々は、しかしこのうえなく幸福だったように思えてならない。そこにはもちろん、回顧というものが持つ特有の甘さがある。けれど現実的な側面として、なんだって気兼ねなく食べることができたというのは、やはり幸せであったと言えるにちがいないだろう。
いまの僕はマクドはまず行かない。よほど強く人に誘われでもしない限り行かないと思う。いや正確には、僕はちょうど1年ほど前に女の子2人に連れられる形で入店したことがある。しかし僕は何も頼まなかったのだ(!)。僕は体に悪いものを体に入れるということに、ことほどさように抵抗があるのだ。けれどもう1つ、ファストフードを食べない理由がある。その理由を形作った大学時代の話をしたい。
僕は23の年、大学を留年している身でありながら毎日のように街をぶらついていたことがある。講義に出ることを思うと億劫で、なにより1時間半ものあいだ受身でいるということを思うと目眩がするようだった。友達もなにもいなかった。そんななか、生ぬるい自由だけが自分を待ってくれている気がした。そうして僕は1年の間―退学を決めるまでの間―街へと逃げ続けた。そんな僕にご飯を作るなんてしちめんどくさいことをする気力なんてなかった。僕は昼間は―他大学なのに―京都大学の生協食堂に行き、いつも"さんまの塩焼き"(めちゃくちゃ旨かった)とほうれん草のお浸しを頼んだ。そして帰りにはブックセンターのルネに行って、哲学や社会学の本を立ち読みしては(たまにしか買わなかった。迷惑な客だ)、近い将来批評誌でデビュー(それには学歴は関係ない)する青写真を描いていた。そして朝と夜はどうしていたかというと、僕はなんとポテトチップスの大袋を朝と夜ともに食べていたのだった。弁当を買わなかったのは、自然派の書籍で添加物の危険性について書かれているのを読んでコンビニ弁当に恐れをなしたからなのだけど、 それよりも大量の油を摂取することの方がまずいよねとか、いやそもそも自然派の弁当屋さん探せばいいよねとか、そんなツッコミをしたくなるくらいに視野が狭かったのだ。どこかでこの食生活はまずいなという意識はあったのだけど、僕はしまいには朝晩のポテチを青春の倦怠を気取るためのアイテムのようにしてしまっていた。そうして僕は1年の間、結局ポテチを朝晩食べ続けたのだった。
―
あまりにも自堕落だった23の頃。いま僕は幸運にも、あの日々には決別することができたかなと思っている。けれどいまでもときおり無性に、ポテチやアップルポテトパイを食べたくなることがあるのも事実だ。僕がモス(の、それもハンバーガー)以外のファストフードを食べないのは、あの親を裏切り続けた日々を2度と繰り返すまいとする、そんな決意の現れでもあるのかもしれない。今年であれからもう12年になる。