両親がアパートにやって来た話
今日は月に1度の、両親がアパートに来る日だった。僕はいつもその日の朝になると、両親と会うことを楽しみに思う。けれどいつも、その期待は失望に変わるのだった。けんかをするというわけではない。ただ母に、毎回のように部屋のことであれこれ言われてしまう。僕は今日こそは言われないようにと、朝からいつにもましてはりきって掃除をした。至らないところがなければ、そもそも言われることなど何もないのだと。
果たして両親がやって来ると、母は「今日は綺麗やんか」と言った。「朝からしっかり掃除したからね」僕はそのとき、30分後にうんざりしている自分の姿など、よもや想像することなどできなかった。
僕は今日ようやくにして気づいた。彼女は言うべきことがあるから言うというよりは、最初にとにかく何ごとかを言ってやろうという目的がまずあって、そのために内容を無理やりにでも見つけるのだ、と。そんな細かいところまで、という指摘と指導が延々と続いた。
それも彼女は、こちらがどう反応するかなどお構いなしなのだ。母の味方である父の手前嫌がるそぶりこそしなかったものの、少し煙たそうに「なに?」と言ったりと、不快感をそれとなく伝える工夫はしたつもりだ。それを完全にスルーしながら、彼女は淡々と説明を続けていく。もう1人の自分がないがしろにされている惨めな僕を憐れみながら眺めているのを感じながら、僕は思った。どうしてこの人は、情というものをほとんど切り離しながら延々とおせっかいを続けることができるのだろう、と。それはまるで機械のようなおせっかいだった。
母は僕がマスクの箱(あくまで箱だ)を床に置いていることが気に入らないらしく、「わたしの感覚では床に置いてるっていうのが耐えられやんのさなあ〜」と言うのだけど、彼女はそのときもその後も、微塵も僕の方を伺うということをしないのだ。要するに彼女は、実質あなたは汚ならしいということを言ったにもかかわらず、それを聞いて相手がどう思うかをまったく考えていない(もちろんと言うべきか、僕は眉間に皺を寄せていた)。僕は彼女の、世の一般的な母親なら言うだろう言葉と見せるだろう仕草―たとえば「これってちょっと汚い感じじゃない?」と言いつつ顔を伺う―を想像することができない。端的に言えば、彼女はあまりにも一方的でがさつなのだ。
けれど、どんなに僕がこんな風に訴えたところでそれは、"ガミガミ言う母と鬱陶しがる子"みたいな紋切り型として受け取られて、どこにでもある、むしろ愛すべき日常の風景として胸に収められるというのが相場なのだと思うと、いやはやこの世の中を生きて行くのはなかなかに難儀だと、そんなことを思ってげんなりしていた。そこへ、帰宅した母から電話があった。
―
幸運だったことには、母は四六時中そうだというわけではないことだ。話をするときには、きちんと話をしてくれる。その内容は、正直ちょっと眉唾ものに思うのだけど。
母が電話をしてきたのはちょっとした用事のためだったのだけど、それが終わると、僕はエッセイの話を振っていた。彼らは見てはいないのだけど、1度僕のプロフィールページを教えたことはあるし、僕が継続して書いていることは知っているのだ。
僕「昨日は書くことがたくさんあって充実してたけど、今日は何も書くことがなくて鬱々となってる。楽器(母はとある楽器を趣味で長年続けている)はいいよなあ、練習できやんっていうことはない。でも文章は、出てこなかったら0やもん(苦笑)」
母「アップダウンはあって当然じゃない?アウトプットだけじゃ垂れ流しで、要するにおしっこやうんこと同じやんかあ。だからインプットをもっとせんとあかんのっちゃう?たとえばエッセイストの本を買って、100回も200回も読むとか」
僕「なるほどね。でも垂れ流しっていうのは、ちょっとひどくないか(苦笑)」
母「うーん、わたしはやっぱりしっかりした手本と照らし合わせて書かんと、自己満足になると思うんさな。後は、いろいろな風物を見やなあかんよ。たとえばいまは入道雲が出てきとるやろ?それを見て感じたことを書くとかさ」
僕「些細なものにアンテナ張るっていうんは分かるよ?でもさ、俳句にするなら別にせよ、それなりの文章にしよと思ったら、それこそ雲に驚いたことだけでは書けやんわけでさ」
―そこに、隣にいるだろう父が割り込んでくる。
父「でもな、そうやっていろんなことが繋がってくるんさ」
父らしい力強い断言に僕は内心苦笑するしかなかったのだけど、それでもそこにはえもいえぬ微笑ましさのようなものがあった。
母「父さんもそう言うとるよ〜」
「はーい」と僕は朗らかに言う。それは、今日のすべてを木漏れ日の下に照らすような朗らかさだった。
果たして両親がやって来ると、母は「今日は綺麗やんか」と言った。「朝からしっかり掃除したからね」僕はそのとき、30分後にうんざりしている自分の姿など、よもや想像することなどできなかった。
僕は今日ようやくにして気づいた。彼女は言うべきことがあるから言うというよりは、最初にとにかく何ごとかを言ってやろうという目的がまずあって、そのために内容を無理やりにでも見つけるのだ、と。そんな細かいところまで、という指摘と指導が延々と続いた。
それも彼女は、こちらがどう反応するかなどお構いなしなのだ。母の味方である父の手前嫌がるそぶりこそしなかったものの、少し煙たそうに「なに?」と言ったりと、不快感をそれとなく伝える工夫はしたつもりだ。それを完全にスルーしながら、彼女は淡々と説明を続けていく。もう1人の自分がないがしろにされている惨めな僕を憐れみながら眺めているのを感じながら、僕は思った。どうしてこの人は、情というものをほとんど切り離しながら延々とおせっかいを続けることができるのだろう、と。それはまるで機械のようなおせっかいだった。
母は僕がマスクの箱(あくまで箱だ)を床に置いていることが気に入らないらしく、「わたしの感覚では床に置いてるっていうのが耐えられやんのさなあ〜」と言うのだけど、彼女はそのときもその後も、微塵も僕の方を伺うということをしないのだ。要するに彼女は、実質あなたは汚ならしいということを言ったにもかかわらず、それを聞いて相手がどう思うかをまったく考えていない(もちろんと言うべきか、僕は眉間に皺を寄せていた)。僕は彼女の、世の一般的な母親なら言うだろう言葉と見せるだろう仕草―たとえば「これってちょっと汚い感じじゃない?」と言いつつ顔を伺う―を想像することができない。端的に言えば、彼女はあまりにも一方的でがさつなのだ。
けれど、どんなに僕がこんな風に訴えたところでそれは、"ガミガミ言う母と鬱陶しがる子"みたいな紋切り型として受け取られて、どこにでもある、むしろ愛すべき日常の風景として胸に収められるというのが相場なのだと思うと、いやはやこの世の中を生きて行くのはなかなかに難儀だと、そんなことを思ってげんなりしていた。そこへ、帰宅した母から電話があった。
―
幸運だったことには、母は四六時中そうだというわけではないことだ。話をするときには、きちんと話をしてくれる。その内容は、正直ちょっと眉唾ものに思うのだけど。
母が電話をしてきたのはちょっとした用事のためだったのだけど、それが終わると、僕はエッセイの話を振っていた。彼らは見てはいないのだけど、1度僕のプロフィールページを教えたことはあるし、僕が継続して書いていることは知っているのだ。
僕「昨日は書くことがたくさんあって充実してたけど、今日は何も書くことがなくて鬱々となってる。楽器(母はとある楽器を趣味で長年続けている)はいいよなあ、練習できやんっていうことはない。でも文章は、出てこなかったら0やもん(苦笑)」
母「アップダウンはあって当然じゃない?アウトプットだけじゃ垂れ流しで、要するにおしっこやうんこと同じやんかあ。だからインプットをもっとせんとあかんのっちゃう?たとえばエッセイストの本を買って、100回も200回も読むとか」
僕「なるほどね。でも垂れ流しっていうのは、ちょっとひどくないか(苦笑)」
母「うーん、わたしはやっぱりしっかりした手本と照らし合わせて書かんと、自己満足になると思うんさな。後は、いろいろな風物を見やなあかんよ。たとえばいまは入道雲が出てきとるやろ?それを見て感じたことを書くとかさ」
僕「些細なものにアンテナ張るっていうんは分かるよ?でもさ、俳句にするなら別にせよ、それなりの文章にしよと思ったら、それこそ雲に驚いたことだけでは書けやんわけでさ」
―そこに、隣にいるだろう父が割り込んでくる。
父「でもな、そうやっていろんなことが繋がってくるんさ」
父らしい力強い断言に僕は内心苦笑するしかなかったのだけど、それでもそこにはえもいえぬ微笑ましさのようなものがあった。
母「父さんもそう言うとるよ〜」
「はーい」と僕は朗らかに言う。それは、今日のすべてを木漏れ日の下に照らすような朗らかさだった。