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くん付けで呼べるようになった話
僕はつい1年半前まで2年間働いていたa型作業所で、どれだけ年下の同僚でもさん付けで呼んでいた。僕は人と親密な関係になるのが怖かったのだろうか?それもあるかもしれない。しかしなにより不安だったのは、くん付けで呼んだ瞬間から、終始ある種の威厳を示し続けなくなるということだった。それは必ずしも自分が相手より上になるということを意味しないものの、少なくとも下にはならないということを意味する。僕は対等な関係をきづく勇気が持てなかったのだ。

そのことを、僕(たちの)支援員をしてくれていた5歳下の女性に、この前電話したときに話すと、彼女は「そうでしたね〜(棒)」みたいな反応をした。それで僕は、やっぱり情けなく思われていたんだなと悟ることになった。少なくともそのトーンからは、礼儀正しくて素敵!みたいに思われてはいなかったことは明らかだった。

でも僕はそのあと彼女に、僕が変わったことを伝えることができた。たまたま、時期は違うものの僕のいた作業所で働いていたことのある4歳下の男性(つまり面識はない)が、いま働いている会社に入ってきたのだけど、僕は自己紹介を終えるや否や「○○くんって呼んでいいですか?」と聞いたのだった。「めちゃ積極的じゃんね」と彼女は笑ってくれた。

他にも彼女には言わなかったのだけれど、時期を同じくして、いかにも気の強そうな20代前半の男性も入ってきたのだけど、僕は当たり前のように彼をくん付けで呼んだばかりか、彼がしていた仕事について、「もうプロやろ?(笑)」と茶化すことさえしたのだった。1年半前なら、腰を屈めてお伺いを立てるくらいの気の強い若者に、僕は真逆の上から目線で接することができていることになる。

それにしても、なぜ僕は変われたのだろう?変わろうと強く気持ちを持っていたからだろうか。出会いの最初という、いわばチャンスの時期を逃さなかったというのが大きかったのだろうか。いかにももっともらしいけれど、僕は案外、どちらも後付けの理屈のような気がするのだ。

ではなにが真の理由なのかというと、僕は"歳月"なのではないかと、そう考えている。僕のなかの感じやすい部分は、1年半のあいだに、加齢により幾分か、しかし確実に和らいだのだろう。しかしそれは質的な変化だった。僕のなかで、この位まで感じやすさが下がれば年下のたいていの相手には自然体で接することができるようになる―そんな水位のようなポイントが元々あり、それは長い歳月をかけてゆっくりと下がってきていた。そしてついにポイント以下に下がったいま、質的な変化がもたらされた―そういうことなのだと、僕は考えている。

それを思えばこの今も、僕の脳のなかではさまざまな目に見えない変化が進行しているということになるはずで、僕は"次はどんな風に変われるんだろう?"とワクワクしている。

人間というのはたぶん、いつなにが花開くか分からないのだ。そして自分が変わるということは、この世界でもっとも新鮮な体験の1つじゃないだろうか。いつかポンと変われるときがあるのだと思うと、歳を重ねるというのも悪くない―そう思える気がする。
21/07/21 19:50更新 / 桜庭雪



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