その朝の大気に親しくなるようにして
あらゆる営為が溶けていく大気の、そのゆったりとしたリズムに、ひとえに寄り添っていくような心持ちで生きれたら。
たとえ明日の早朝に雨が降っていようとも、僕はやはり座禅をしているだろう。晴れだろうと雨だろうと関係ないというよりは、その朝の大気に親しくなるようにして、僕はいつも座っていたい(ちなみに僕は正座で座禅をしている)。
そうして僕は、―そう、まさに大気のように―僕を取り囲んでくれている大切な事物たちに、胸のなか微かに触れていくようにして感謝をする。
そんな至福の時が、また明日になればやって来るのだ。
―
やがては今年の長い梅雨も去る。そうすればまた夏がやってくる、セミの声にすべてが祝福されているかのような、あの夏が。
夏の早朝にもやはり僕は座っているはずだ。一羽目のセミが鳴き始めるのを、厳かに歓待するようにして―
―
なんでこんなに幸福なんだろう、と思う。移ろっていくはるかなる季節をただ静かに歩んでいく自分を感じると、すべてが温かくなる。
ちょっと不機嫌そうな雨雲、さっきもアパートに来て小うるさく、一人前に至らないとあれやこれやを"指導"していった親、LINEがいつも1日遅れで返ってくる弟―そんな、思い浮かべると少しささくれ立ってしまうようなあれこれも、和やかと言うほかない時の流れに溶けていく。
風雨をしのげるアパートの心地、そのアパートの8割近くを負担してくれている親の温かい援助、話し込んでいる職場の同僚、前の職場で本当にお世話になった人たち・・・。そんな僕を見護ってくれている諸々は、空の瑞々しい水色のように、伸びやかにこの胸のなか満ち広がっていく。
そんな長い日曜の午後だった。
たとえ明日の早朝に雨が降っていようとも、僕はやはり座禅をしているだろう。晴れだろうと雨だろうと関係ないというよりは、その朝の大気に親しくなるようにして、僕はいつも座っていたい(ちなみに僕は正座で座禅をしている)。
そうして僕は、―そう、まさに大気のように―僕を取り囲んでくれている大切な事物たちに、胸のなか微かに触れていくようにして感謝をする。
そんな至福の時が、また明日になればやって来るのだ。
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やがては今年の長い梅雨も去る。そうすればまた夏がやってくる、セミの声にすべてが祝福されているかのような、あの夏が。
夏の早朝にもやはり僕は座っているはずだ。一羽目のセミが鳴き始めるのを、厳かに歓待するようにして―
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なんでこんなに幸福なんだろう、と思う。移ろっていくはるかなる季節をただ静かに歩んでいく自分を感じると、すべてが温かくなる。
ちょっと不機嫌そうな雨雲、さっきもアパートに来て小うるさく、一人前に至らないとあれやこれやを"指導"していった親、LINEがいつも1日遅れで返ってくる弟―そんな、思い浮かべると少しささくれ立ってしまうようなあれこれも、和やかと言うほかない時の流れに溶けていく。
風雨をしのげるアパートの心地、そのアパートの8割近くを負担してくれている親の温かい援助、話し込んでいる職場の同僚、前の職場で本当にお世話になった人たち・・・。そんな僕を見護ってくれている諸々は、空の瑞々しい水色のように、伸びやかにこの胸のなか満ち広がっていく。
そんな長い日曜の午後だった。