去年の6月頃の、中国に対する香港のデモ
去年の6月頃だったと思うから、もうすぐあれから1年になるけれど、当時中国は香港に、「国家安全維持法」を適用しようとしていた。そして、「一国二制度」が損なわれる(香港の自治が損なわれる)のを憂慮した香港の人たちが大規模なデモを繰り広げているのを、当時見ていたテレビ番組「正義のミカタ」で見た。
彼らの立場からすれば失礼きわまりない話だけれど、僕はそのとき、世界の"深刻な"歴史の表舞台で戦っている彼らに対して、"のうのうと"日々を生きているような自分をこのうえなく空しく感じた。その目も眩むような対比は、彼らは生きていて、自分は半ば死んでいると告げているようだった。
でも、やはりそれは失礼な話なのだ。死んでいるなんて、思ってはいけないのだ。彼らが必死で守ろうとしていた自由や人権が、この国では(少なくとも今のところ)保証されているし、それが蹂躙されそうな動きもない。僕(ら)はその平和に感謝しなければならない。もっと言えば、みずみずしく生きなければならないのだと、このいま思う。
僕は彼らの1人と胸のうちに話す。彼は言う―「僕は他でもなく、僕たち自身の危機のために否応なく戦ったんだ。だから周りがのどかで平和なら、それは素晴らしいことだと心から思う。君にはそんな平和を、その胸で存分に呼吸してほしい。といっても気張ることはないよ。真摯に幸福でありさえすればいいのさ」
彼らの立場からすれば失礼きわまりない話だけれど、僕はそのとき、世界の"深刻な"歴史の表舞台で戦っている彼らに対して、"のうのうと"日々を生きているような自分をこのうえなく空しく感じた。その目も眩むような対比は、彼らは生きていて、自分は半ば死んでいると告げているようだった。
でも、やはりそれは失礼な話なのだ。死んでいるなんて、思ってはいけないのだ。彼らが必死で守ろうとしていた自由や人権が、この国では(少なくとも今のところ)保証されているし、それが蹂躙されそうな動きもない。僕(ら)はその平和に感謝しなければならない。もっと言えば、みずみずしく生きなければならないのだと、このいま思う。
僕は彼らの1人と胸のうちに話す。彼は言う―「僕は他でもなく、僕たち自身の危機のために否応なく戦ったんだ。だから周りがのどかで平和なら、それは素晴らしいことだと心から思う。君にはそんな平和を、その胸で存分に呼吸してほしい。といっても気張ることはないよ。真摯に幸福でありさえすればいいのさ」