昔見ていた夢がある
昔見ていた夢がある。僕は、人里知れない場所にある教会を毎日掃除する、そんな仕事に就けたらと思っていた。
あたりにこまごまとしたものがないために、空が近く感じられる。もちろん、あたり一帯は静寂に包まれている。僕はそこで、悠久の歳月に自らを溶かし込んでいくようにして掃除をする。速くもなく遅くもない僕の固有のリズムが、そのまま世界の鼓動でもあるかのように。そうして僕は、そんな静寂のなかこの胸に広がっていく、あるかなきかの悦びや哀しみの波紋たちに、耳を澄ませつづけるようにして生きるのだ。あるいは僕は、歳月そのものになりたかったのかもしれない。すべてを包み込むような、おおいなる感情とでも言うべきものに。
いつしかその夢は見なくなった。気づくと世界は、立ち向かっていくべき対象となっていた。いまは、凛とした気高さを抱きつつ世俗にまみれて生きていきたいと、強く思っている。
一過性の現実逃避だったと言えば、一言で済まされてしまうことかもしれない。けれど僕にとっては、大切な大切な心の記憶だ。人はたぶんみな、そんな、一言で済まさることを拒む"想い出"を持っているのだと思う。
あたりにこまごまとしたものがないために、空が近く感じられる。もちろん、あたり一帯は静寂に包まれている。僕はそこで、悠久の歳月に自らを溶かし込んでいくようにして掃除をする。速くもなく遅くもない僕の固有のリズムが、そのまま世界の鼓動でもあるかのように。そうして僕は、そんな静寂のなかこの胸に広がっていく、あるかなきかの悦びや哀しみの波紋たちに、耳を澄ませつづけるようにして生きるのだ。あるいは僕は、歳月そのものになりたかったのかもしれない。すべてを包み込むような、おおいなる感情とでも言うべきものに。
いつしかその夢は見なくなった。気づくと世界は、立ち向かっていくべき対象となっていた。いまは、凛とした気高さを抱きつつ世俗にまみれて生きていきたいと、強く思っている。
一過性の現実逃避だったと言えば、一言で済まされてしまうことかもしれない。けれど僕にとっては、大切な大切な心の記憶だ。人はたぶんみな、そんな、一言で済まさることを拒む"想い出"を持っているのだと思う。