ポエム
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冬の夢

僕の住む地域ではめずらしく、その朝は雪が降っていた。僕たちはもくもくとボールペンのシール貼り作業をしていた。僕の右斜め前に座る彼女の手は、いかにも急いているような他の作業者たちのそれとは違っていた。シールを剥がす仕草、ペンを箱から取り出す仕草、そしてシールを貼る仕草、そのすべてが、速すぎず遅すぎず、統一された調和あるトーンで流れていた。まるで、いっときもそのリズムを乱すことなく舞い降ち続ける牡丹雪のように。

僕は彼女に惹かれていた。だから、僕はときどき、思い出したように彼女の方を見てしまわないわけにはいかなかった。彼女の流麗な手つきは、ペンにシールを貼る寸前、一寸のあいだ静止する。その瞬間の彼女の、祈るようにひたむきなまなざし―。

貼り終えるやその黒い瞳は僕を見据えていた。脳天が電流が走ったかのように震えた。すぐ下を向いて作業に戻った。疑念と好奇が入り交じったような視線が、脳裏を離れなかった。

彼女は人と距離を置いて接するのが常で、とくに男にはなかなか打ち解けなかった。それでも仲の良い人といるときには、彼女は誰よりも純真な少女のように笑った。いまもあの視線を思い出すたび、僕は夢見心地に思う。もしあの後、たとえば僕と彼女の2人だけが同じ作業を割り当てられるなんてことがあったなら(僕たちの職場では、実際にそういうことがたまにあった)、僕たちは案外、親密になれていたかもしれないと。湛えられていた疑念など薄氷のようなもので、それはすぐと破け、僕はあの柔らかい水のような笑顔に包まれ得たかもしれないと。



「そうそうそうそうっ!」

彼女、あんなにはしゃぐ人だったんだ・・・。春も深まった新緑の頃、声を華やがせながら満面の笑みを湛える彼女の姿が目に飛び込んできたとき、僕はそう思った。でもそれはやはり、どこまでも女性的なはしゃぎ方だった。その笑みには、男がはしゃぐときに見せる"笑い飛ばす"といった趣は皆無で、彼女はただただ純粋に、共感してもらえた喜びを表現しているように、僕には見えた。

他人が自分と同じものを共有しているという、一見なんでもないようなことに、あそこまで喜ぶことのできる彼女の毎日というのは、いったいどれほどの喜びや驚きに満ちていたのだろう?―あの黄色い声と笑顔を思い出すたび、僕は自分の胸のうちに敬虔なものが満ち広がっていくのを感じる。

その一方で、彼女には独特の感情の狭さとでもいうべきところがあった。

小さなスティック状の製品を袋に入れていく作業で、彼女はみなが机の上を手渡しで送ってきた袋に、きちんと製品が正しい数入っているかどうかを計量する役についていた。数が少ないと、彼女はみなに(誰が入れ間違えてるかはわからないから)「1個足りないです。◯個ちゃんとお願いします」と、ややぎこちなく言ったのだけど、そのやや冷たいトーンには、人に対する配慮というものがどこか欠けているところがあった。

目前の女の子が袋を立たないほどに細いまま送ろうとすると、彼女は「もっと膨らませてください」とほのかに怒ったようなトーンで、真剣きわまりない面持ちで−やはりどこかぎこちなく−言った。言われた女の子はムスッとした表情になった。でも彼女はそのことに気づいていない風だった。僕はいまも思うのだけど、あのとき彼女は、女の子の気持ちを想像すらしていなかったんじゃないだろうか。

でもそんな彼女の視野の狭いところに、僕はたまらない愛らしさを感じていた。彼女の、やや固さのあるひたむきな顔が僕は大好きだった。そして、そんなぎこちなさをすべて吹き払うかのようなあの笑顔は、写真に撮って宝物にしたいくらい好きだった。

ある日、僕はおっちょこちょいなことをしでかしてしまう。でもそれは僕にとり多大なる幸運だった。

その日も作業は同じだった。◯◯さん、机に製品出してもらえますか?僕は袋から製品を机にばらまくように出す。出し終えて作業に戻ろうと椅子に座ると、もっともっと出してください、と、やや強めの語気で彼女。結局5袋ほど机に出す。しばらくするとまた製品がなくなってきた。だから僕は前のように5袋机に開けようとした。僕が袋を次々と机にあけていると、そこへ彼女−「◯◯さん、もう終わりの時間だから、そんなにあけなくっていいですよ(笑)」

最初で最後の、彼女が僕に笑いかけくれた瞬間だった。



6月、別れは突然やってきた。コロナ禍により仕事が少なくなり、パートだった彼女は、雨靄(あまもや)の向こうに消えるようにしていなくなった。
20/12/21 12:11更新 / 桜庭雪



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