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親の脛をかじっていようとも、朝は来る
おとついで、もう34歳になった。しかし僕の給料は手取り10万しかなく、僕はアパート代の一部を親に出してもらっている。僕はそんな自分が情けなくて仕方がない。けれど他方で、みなとそう変わらないなと思えるときもある。それはたとえば、新鮮でみずみずしい朝のようなときだ。

朝起きると、僕は前日の寝る前に淹れて冷やしておいたコーヒーを冷蔵庫から取り出して飲む。続けてポットで湯を沸かし、ティースプーン山盛りのココア(もちろん砂糖なし)を湯に溶かして、水と合わせて飲む。次に、有機粉末緑茶のティースプーン擦りきり一杯(これで5、6杯分の計算になる)を、やはり湯に溶かして、同じように水と合わせて飲む。

毎朝のルーティーン。僕はいつも、このささやかな習慣が僕という人間をより良く形作っていくのだという、地味ながらもたしかな予感のようなものを感じているし、その感じを努めて感じるようにもしている。そうして僕は、仕事へと襟元を正す。自分はちゃんと生きているという実感で、胸が溢れる。

朝。それは1日のたしかな始まりだ。そうやって、僕は大いなる日々へと自分を、引け目もろとも溶かし込んでいるのだと思う。自立していようが親に依存していようが、日々は、朝は、皆に等しくやって来る。その最中で生きるという、その営み自体に宿っているひたむきさのようなものと比べれば、体面などほんの小さなものにすぎないのだと、自分に言い聞かせるようにして。
21/03/30 08:39更新 / 桜庭雪



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