罪のない罰
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私の父の両親が働いていない人でパチンコばかり行く人でした。ご飯はカップラーメンだけ。パジャマで昼間過ごす。食事の時は机を台布巾で拭いたりしない。そんないろんなことにおいててきとうな人でした。私が幼い頃、私の父と私の父の兄、私の父と私の父の父、電話をすればいつも喧嘩し、会いに行っても喧嘩し…。私はいつも怖くなって震えました。今では慣れてしまったんですけどね。 私の父の両親は子供を育てるということの重さを分かっていなかったなと常々思います。私の父の兄が最近おばあちゃんの通帳を勝手に使ったりします。一応言い分はあるらしいけど、意味がわからないと思ってしまいます。 親って大切な存在だなと私は思います。 子どもを大切にしてあげてください。辛いことも苦しいこともたくさんあると思いますが(私には想像では限界があるでしょう。ごめんなさい。)、子どものためにもNamari422さんのためにも子育て頑張ってください。 すず 20/11/11 02:23
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すず 様 感想どうもありがとうございます。 とても複雑な家族内の問題があるようで、私ではすず様にかけられる言葉も多くは無いでしょう。 そしてそれを間近で見続ける子として、すず様がとても屈折した感情を育ててしまっていないか心配です。 私は一度だけ自分と血の繋がりのない子の親になった事がありますが、やはり並大抵の覚悟で務まるモノではないと思い知りました。 子供を産み育てるという事、その重みは夫婦間やカップル間でどれだけ深く愛し合っていようと、それとは全く関係が無いモノだということも。 親になりたいから、子供が欲しいから、不用意な行為で出来てしまったから、そんな浅慮な理由や覚悟で子育てなど到底成せるモノではありません。 親が子を作り、産み、育てるという一連の行動に選択権や決定権が与えられているのに対して子供は何も選べずに産まれてきます。 親も、国も、環境も、それらが作り上げる境遇も全て子供は選ぶことが出来ない。 親それなのに「産むんじゃなかった。」「作る気は無かった。」などと、挙げ句の果てには「子供に罪はないから。」などと、親のとった行動の責任を全て子供に擦り付ける様な無責任な綺麗事が多すぎる気がします。 罪を犯した訳でもないのにそんな理不尽な罰に苦しむ子供があまりにも多い、この詩はそんな人々や世界に対して嘆いてる一人の子供の気持ちとなって書きました。 親とて人、完璧な正しさを持つ見本ではない。 そして家族と言えど他人、親に求めすぎるのは駄目なのでしょうね。 自らの境遇の中ですず様が学んだこと、それらがこの先良いものとなりますよう、思うばかりです。 ご感想ありがとうございました。 Namari422 20/11/11 04:23
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