ポエム
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流れのままに
私は目標がないと進めないたちだった。

大きな目標とその目的に向かって進むための
小さな目標からの達成感。

その目標に向かうためにガチガチの固定観念だった。
自分と違う価値観の人は、理解できなかった。
違うものを受け入れるには、とても時間がかかったし、
まず、自分からは関わらなかった。
違うことへの面白さや醍醐味に気づく余裕もなかった。

そんな中、「流れに身を任せてみたら?」という価値観に出会った。

ある歌ではないが、つくづく思う。
目標に辿り着く道のりは、様々。
自分の人生経験からの想像した道筋なんて、
コンクリートに囲まれた道端の小川みたいなものだ。

自然の流れに身を任せれば、
自分の考えもしない道筋で目的地まで連れて行ってくれる。
しかも、水流を生かして自分の力を抜けば抜くほど、
自然でいればいるほど、自分のエネルギーを最小限に。
そして後輩にいう
「私もできたのだから、あなたも絶対にできる。」と。

逆に、自然の流れを感じずに、
自分のガチガチの固定観念で目標に向かっていると、
自然の流れに逆らって進むことになる。
いずれ、目的地には辿り着くかもしれないが、
身体は傷つき、進みも遅く、たくさんのエネルギーを使い切る。
そして後輩にいう
「私は、こんなに頑張って、こんなに傷ついて辿り着いた。
それがあなたにできるのか?」
もっと酷いのは、「私もやったのだからあなたもやりなさい。」

両方とも目的に辿り着く努力は必ずしている。
そうでないとまず、流れが起きない湖だ。

私は、決めている。
「これだけ私は頑張った。そのためにこれだけ犠牲にした。」という人より、
「大丈夫、大丈夫。応援してやるから、まず、やってみな。」という人を
信頼している。



20/06/05 00:51更新 / kanata



談話室



■作者メッセージ
「私は頑張った。そのためにこれだけ犠牲にした。」という人ほど、
同じことを相手にも求める。
ゴリゴリとこじ開けてきた人は、
それができるエネルギーを持っている人でもある。
そんな人の周りにいる人は、
自分の流れを作らせてもらえないどころか、エネルギーを奪われていく。
そして、自分のエネルギーが高いことを知らずに、
「なぜ、できないのか」と問いただす。

私はやっぱり「私は、色々な幸運と色々な人に助けられて、今がある」と
思っている人が好きだ。

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