女には為れない生き物
---------
鏡の中の私は
無言のまま
何も語らないくせに
すべてを見透かしているようだった
肩幅
喉仏
指の節の膨らみ
どれも置き去りにしてきたはずの
記号たちが
皮膚の下でまだ呼吸をしている
ひとりで歩いていた
声をかけられるまでは
それも
誰かに話しかけるふりをして
自分を無視しつづけていたに過ぎない
あの人は
まるで春の光をつれていた
飾ることのない表情としぐさ
笑うと目元がやわらかく崩れて
心が一歩、後退した
なぜだろう
そう思ったときには
もう目で追っていた
私には似合わないと思っていた服を
買った
明るすぎる色
短すぎる丈
でも鏡の中の私は
少しだけ
目を細めていた
呼吸の音が近づく
それは私のではなかった
胸に触れる視線の感触に
肌が逆撫でされるようで
逃げたくなるくせに
一歩も動けなかった
彼の言葉はやさしかった
彼の手はあたたかかった
彼の笑い声に
知らない音階の音楽が生まれる
「君は不思議だね」と
彼は言った
「何が?」と私は訊いた
けれど
私の声はどこか違う場所へ
落ちていったようだった
夜は
私の輪郭を曖昧にする
だから好きだった
目を閉じれば
私は私でいられるような
そんな気がしていた
けれど
彼は昼の光で私を見た
目を逸らさず
黙って、見た
私は
生まれてはじめて
自分の輪郭が
なぞられる音を聞いた
不確かなものに惹かれることは
罪だろうか
わからない
ただ、確かなのは
私の中の何かが
彼の言葉で動いたということ
手を伸ばしかけて
引っ込める
名前を呼ばれそうになって
耳をふさぐ
それでも
彼が笑ったとき
世界は
一瞬
色彩を取り戻す
私はまだ
途中なのだろう
男であることも
違うことも
選んだわけではなかった
でも
彼の目の中に映る私は
たしかに
誰かだった
誰かになれそうな
誰かだった
だから
私は
明日も
声を出す
震えながら
それでも
歩き出す
名前のない
私のままで
---------
鏡の中の私は
無言のまま
何も語らないくせに
すべてを見透かしているようだった
肩幅
喉仏
指の節の膨らみ
どれも置き去りにしてきたはずの
記号たちが
皮膚の下でまだ呼吸をしている
ひとりで歩いていた
声をかけられるまでは
それも
誰かに話しかけるふりをして
自分を無視しつづけていたに過ぎない
あの人は
まるで春の光をつれていた
飾ることのない表情としぐさ
笑うと目元がやわらかく崩れて
心が一歩、後退した
なぜだろう
そう思ったときには
もう目で追っていた
私には似合わないと思っていた服を
買った
明るすぎる色
短すぎる丈
でも鏡の中の私は
少しだけ
目を細めていた
呼吸の音が近づく
それは私のではなかった
胸に触れる視線の感触に
肌が逆撫でされるようで
逃げたくなるくせに
一歩も動けなかった
彼の言葉はやさしかった
彼の手はあたたかかった
彼の笑い声に
知らない音階の音楽が生まれる
「君は不思議だね」と
彼は言った
「何が?」と私は訊いた
けれど
私の声はどこか違う場所へ
落ちていったようだった
夜は
私の輪郭を曖昧にする
だから好きだった
目を閉じれば
私は私でいられるような
そんな気がしていた
けれど
彼は昼の光で私を見た
目を逸らさず
黙って、見た
私は
生まれてはじめて
自分の輪郭が
なぞられる音を聞いた
不確かなものに惹かれることは
罪だろうか
わからない
ただ、確かなのは
私の中の何かが
彼の言葉で動いたということ
手を伸ばしかけて
引っ込める
名前を呼ばれそうになって
耳をふさぐ
それでも
彼が笑ったとき
世界は
一瞬
色彩を取り戻す
私はまだ
途中なのだろう
男であることも
違うことも
選んだわけではなかった
でも
彼の目の中に映る私は
たしかに
誰かだった
誰かになれそうな
誰かだった
だから
私は
明日も
声を出す
震えながら
それでも
歩き出す
名前のない
私のままで
---------