ポエム
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詩舟

日本語が死にかけている
キーボードの隙間に落ちた五十音が
拾い上げられることもなく乾いていく
変換候補の最上段に
愛はない
憂いもない
あるのは「既読」だけ

母音がうまく発音できなくなった母の口唇
子どもはタブレットに夢中で
手書きの文字を読まない
喉の奥で息継ぎもせず
漢字たちは死んでいく

句読点が機械の都合に合わせて置かれ
誰も気づかないまま
詩はリール動画の下にスクロールされ
与えられたテンポだけがリズムとなる

「こんにちは」が「こんちゃ」に圧縮され
「ありがとう」はスタンプに吸い込まれた
語尾に気配も余白もなく
会話はスワイプの彼方へ消えていく

それでも詩はまだ
辞書の隅に棲んでいる
誰かが拾った「さようなら」が
丁寧に花瓶に活けられるように

カタカナばかりの街で
「うつくしい」が見当たらない
代わりにあるのは「ビジュが良い」
けれどその感嘆すら
定型文に変わる

泣いているのは誰だ
濁点のついた言葉か
送り仮名を間違えられた記憶か
それとも
一度も使われなかった未完の敬語か

かつて、
「あなた」は「おまえ」だった
「おまえ」は「目愛のひと」だった
人称ひとつにも
愛の歴史が眠っていたのに

今、ぼくらは
「AIが喋ってる」と笑う
けれどその声に潜むのは
失われた誰かの手書きの癖だった

ひらがなは水のようだ
流れすぎれば、かたちを失う
カタカナは風のようだ
音ばかりで、中身が飛ぶ

日本語が死にかけている
でも、ほんとうは
ただ、静かに眠っているだけかもしれない
ページを閉じるたびに
呼吸をととのえて待っている

だれかが「ことば」を
もういちど、ゆっくり綴るのを

名もない詩人が夜の机で
一語一語、
灯りをともすように選んでいくそのときまで

過去形にされた祈りたちは
いつかふたたび、現在に戻るだろう

草稿の端に書かれた「好き」
封を開けられなかった手紙の「ごめんね」
消されたLINEの「いきてる?」
それらがすべて、詩になる日まで

わたしは書く
日本語の末端で
呼吸を続けるひとりとして

漢字の骨を撫で
仮名の血をあたため
詩という名の棺を舟にして

流す、夜へ
届ける、未来へ

死にかけている、それでもなお
ことばは
何度でも、
蘇るのだと信じている


25/04/10 02:22更新 / はともみじ



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