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「想い出」を売る男(散文詩)
 或る男が、道端で「想い出」を売っていた。目の落ちくぼんだ、色黒の相貌をしていた。止まる者とて誰もなかった。それ程、個人の「想い出」と言うものには、人々は無関心らしい。私も通り過ぎようとした。しかし、何故か立ち止まっていた。「この古本は何?」私は、その男に訊いた。「そりゃ、俺の目録だ」吐き捨てるようにそう言った。その男の生唾を飲み込む時の、喉仏の異様に上下するのが気にかかった。「俺は、俺を実験台にして、日々のカラクリを探っていたわけさ。ハッ八ッハッ・・・」男は哀し気に笑った。目には涙さえ溜まっていた。「これを一冊売ってくれ」と、男に言うと、「持ってゆきな」これまた吐き捨てるような口吻で言い放った。私は、古本を右わきに抱え、ハンバーガーとコーヒーを買ってきた。「おっつぁん、これを食べてくれ。さっきの本のお礼だ」私は、馬鹿げているとは分かりながらも、その男に差し出した。「ありがとよ。どっこいしょ」彼は、何の感動もなくそれを腰を浮かせて受け取り、ガツガツと食らい始めた。
 歩きながら本を広げてみた。確かにそこには、あの男の生涯が書かれてあった。そして驚いたことに、死亡年月日、時刻までが書かれてあった。私は、とっさに腕時計を見た。その死亡年月日は今日であり、時刻は一分過ぎていた。私は、急に不安になり、取って返した。先般の場所で、男はまだ「想い出」を売っていた。そして人々は、素知らぬ顔で通り過ぎてゆくばかりであった。その男が、私の顔を見上げた。「今日、だったっけなあ。もう、あの時間は過ぎたかい?」彼は、不敵な笑顔さえ浮かべていた。「もう二分過ぎたよ」「うるせえなあ、うるせえなあ。『想い出』だって言ったろう・・・『想い出』なんて、みんな嘘つきなんだよ、なあ?」私は、笑い転げたくなった。「そうさ、そんなもんさ」「馬鹿だよなあ。ハンバーガー、ありがとうよ。美味かった。コーヒーも一滴残らず飲み干したぜ」
 その男の真っ黒な顔に、夕陽が鮮やかに照り返っていた。
22/04/26 17:00更新 / 武中義人



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■作者メッセージ
厳格な意味では、散文詩ではないかも知れません。お読み下さればありがたい。

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