想曲
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「止まらない」と感じながら、同時に「浅はか」だと感じることはできるのでしょうか? 後から振り返って、あれは一時の熱病のようなものだったと思うときは多々あります(僕もそうやって書いた詩を消したりしてます笑)が、止まらないと感じているほどの感情の強度があるのであれば、それが客観的にどんなに滑稽であろうと、それこそ浅はかに見えるような行為であろうとも、そのときその人は「深い」場所に芯から浸かっているのだと思います。そんな状態の渦中で、浅はかだと突き放すというのは、常人にはちょっと不可能なのかなと。 でも「詩に慰め求め書き殴る」という表現にはすごく共感しました。制御しがたい、そして現実は受け入れてはくれそうにない、そんな感情が荒ぶるとき(おそらくそのような心の動きを、それまでの部分で表現されているのだと思いました)、そんな心の動きを、詩という1つの、文化的意義のあるだろう表現に成形(ぶちまける、と言ったほうが良いでしょうか)することは、あたかも望みが叶えられたかのような錯覚をもたらしてくれる、そんな実感があります。でもそれはつかの間のことで、だからこそその後に沈んでしまう。その気分の浮き沈みの経過が、「双極」という概念で簡潔に表現されていて、さらりとしながらも密度のある一行だと思いました。 坂上春成 20/08/14 11:07 評価:良かった。
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