祖父の使い魔
あり。
そう、その、あり、である。
誠に不可思議なことであるのだけれど、
私の亡き祖父は、
ありを使い魔にして、
啓示する。
初めて使い魔として現れたのは、
祖父が亡くなり、遺体を安置していた小屋の、
蝋燭に登っていたのである。
また、帰りの車内にもいた。
一年に二度、又は三度
命日、誕生日(秋の彼岸と同一である)、そして、今日、春の彼岸である。
必ず、上記の三日のあたりに、中くらいのあり(前にも記したが、僕は無学だ)が、
一匹だけ、僕らのもとにやってくる。
それを見ると、
ああ、そんな時期か、と思うと共に、
寂しがっているのだろうかと、
勝手な邪推をしながら、
来たる日に、粛々と、墓地参りに向かうのである。
祖父は、なぜ忙しそうな、ありを使い魔に選んだのだろうか。
再会した時、一番にそれを訊ねたい。
そう、その、あり、である。
誠に不可思議なことであるのだけれど、
私の亡き祖父は、
ありを使い魔にして、
啓示する。
初めて使い魔として現れたのは、
祖父が亡くなり、遺体を安置していた小屋の、
蝋燭に登っていたのである。
また、帰りの車内にもいた。
一年に二度、又は三度
命日、誕生日(秋の彼岸と同一である)、そして、今日、春の彼岸である。
必ず、上記の三日のあたりに、中くらいのあり(前にも記したが、僕は無学だ)が、
一匹だけ、僕らのもとにやってくる。
それを見ると、
ああ、そんな時期か、と思うと共に、
寂しがっているのだろうかと、
勝手な邪推をしながら、
来たる日に、粛々と、墓地参りに向かうのである。
祖父は、なぜ忙しそうな、ありを使い魔に選んだのだろうか。
再会した時、一番にそれを訊ねたい。