『昭和ノスタルジー』への憧憬のうた
少し羨ましくて。
『昭和ノスタルジー』を
語れる人は、いいよねー。
平成も終わるこの年、
来年、昭和は、懐かしさとアナログと
まだあった人情と、
淡く甘ったるい憧れをこめて、
『昭和ノスタルジー』と
呼ばれることになるだろう。
でも、そんなもの、
テレビやネットで映像や音声を見て聴いて、
でも、そのあたたかさは、その愛は、
けっしてわたしには、わからないものね。
その、ほんとうは、
けっしてわたしには、触れられないものね。
パチパチはじけて、
キラキラひかって、
愛も、恋も、希望も、絶望さえ、
焼けて、燃えて、死さえそばにあった、
痛々しく、騒々しい、想像と、創造。
そう、そういうものととらえ、
わたしは
青空の上に隠されている、
悠久の宇宙の漆黒の闇を、
いつも仰ぎ見るように、
昭和ノスタルジーの、
いまは遠くで輝いている
いい意味での寂しさを
いつも、いつも、
それはいまも、
感じていたいのだ。
そこに、大きな意味などなく
ただただ、感じていたいのだ。