蛇の詩人になりたい 3
蛇が好きだから、こんな詩を
書いているわけではないと、
なんど、言い訳のように言い続けようと、
それをみんなに理解してもらえるとは、限らない。
例えばこんな話がある。
世の中で、1番蛇のことを好きだった
とても可愛い女の子がいて、
この子は、蛇が好きすぎて、
もしあたしが詩人だったら、
きっと蛇をモチーフにした
その名も蛇の道というような
詩集を書くだろう、と思っていた。
だって蛇のことが、
ほかのなにとも比べられないくらい
好きだったのだから。
そしてその女の子も普通に恋をして、
そのカレシに自分が蛇好きだということを
正直に打ち明けることができなかったときに、
もう、
あたしが蛇を好きだと思う資格はないのだと、
いつも以上に潔癖な心の底からの思いで、
悪びれることなく、そう思ったのだ。
蛇を好きな女って、やっぱ、引かれるよな?
そう思ったその女は、
それからしばらく自分の部屋でひとりになるたび
蛇の生き霊に苦しめられることとなった。
誰が、悪かったのだろうか?
この話の、教訓は、何だろうか?
人は、なにかを好きになる感情に、
ひとつふたつ枷をかける必要があるのではないか?
へー、そんなことが、教訓だって?
なら、さ。
へへ、なら、あたしは、もう、詩を
実際に書くわ。
誰にわかってもらえなくても、いいわ。
カレとだって、ちゃんと、話をするわ。
それで嫌われるのなら、
もともとあたしのたましいを嫌いなんだと
判断するわ。
あたし、さぁ、
こんなに蛇が好きだと思わなかった、な。
自分のことってよくわからないって、
よくいうけど、
ほんと、そのとおりだね?
蛇好きなヤツとして
蛇のようににょろにょろと、
しゅくしゅくと、生きてくわ。
と、決意したものもいるかもしれない。
むろん、これまでの「あたし」は、
たとえ話のなかの、「あたし」である。
蛇が好きどから、こんな詩集を
編んでいるわけではないと、
なんど、言い訳のように言い続けようと、
それをみんなに理解してもらえるとは、限らない。
なら、
もう、メンドーサ(ホセ?嘘)、
このまま真っ白な灰に燃え尽きるまで
蛇のことを本当は大好きだったって、
もう、心の孤独を声にして、しまうかもしれない。
人は、ひとりひとりが闘い続けるものだから。
あっ、そういえば、
あたし昔っから、キングコブラを
カッケーって、思ってた、
そんな感性のヘンテコな心の女の子だったよーな?
にょろ、にょろ。