中庸、いい言葉。
お酒を全くやめたり、おいしいものを食べなくしたり、人生のクオリティーに関わってきますからね。
なんの病気だったか、生活習慣病を患うことによって、被る被害を言いたくて述べられていた言葉だったと思う。
だから、トクホのこの食べものを食べてくださいね、っていう宣伝のなかの、ただのほんらい聴き流されるべき言葉のはずだが。
なんか、印象に残ってしまって。
へー。そうなんだ?
人生のクオリティーって、そういう風に決められているんだ?
とかね。
ビックリしてしまったよ、僕は。
確かに、おいしいものを食べられないって、キツいし、それも今ガマンすればいいというのじゃなくて、一生死ぬまでガマンするというのは、ゾッとするガマンではある。
むかし、一度術後の経過を見る段階で、2週間ほどだったと思うけど、『絶飲食』というのを経験して、そのときテレビを見ながら、食べもののシーンばかりが目についたのを思い出す。
でも、そのときほんとうに辛かったのは、やっぱり「食」より「飲」の方だったけど、でも、その当時のテレビに映ったものでいまでも思い出すのは、やはり印象的な「食べもの」ではあるのだよ。なんか、記憶に刻み込まれてる、みたいな感じで思い出す「食べもの」たち。
当時宮崎県知事ブームから有名になった「金の太陽」とかいうマンゴーと、あともともと好きだからか、寿司と焼肉の食レポや食事シーンがいまだにあのときの心の飢え(肉体的には、点滴を24時間入れられ続けているので、水さえ飲まずに生きていられたが)、心の渇きと共にけっこう深いところに刻み込まれているのだろう。いつまでも忘れることなく、覚えているのだなぁ、これが。
あと、「負けないで」で有名なZARDさんが、病院の2階部分の階段から落ちて亡くなられた話や、ヒルトンホテルの一族のナントカヒルトンていう若いお騒がせ女性のスキャンダル話もそのとき入院中にテレビで観たんだが、ほんらい僕が持つであろう興味を大幅に増幅して、やはり心のどこかに刻み込まれているんだ、なんか、とくに後者の方はいまならあまり興味のない話の分、逆に、いまだに覚えていることが面白いとは思ってしまうのだ。
閑話休題。
それほど大事なものだと、経験で知った上で、でも冒頭のとあるラジオパーソナリティーの言葉には、どうしても引っかかってしまう。
人生のクオリティー、とは、言いも言ったり。だよね?
なら、お酒やめちゃった僕って、クオリティー低いのか、いまからまた、お酒を飲み出したら、クオリティーが高くなるのか?
そんなもんでクオリティーが高くなるなら、いくらでもアルコールに依存してやんよ。どうせ、いつかは、死ぬんだからね?
でも、そうじゃないでしょ?
アルコールをやめたことによって得たものの方が、多いでしょ?
とくに「人生のクオリティー」とかほざく大切な時間を考えるにあたってなら、なおさら、なおさら。
アルコールびたりの日々と、
アニメびたりの日々と、
詩作びたりの日々と、
なににもひたらない日々。
その中で、それにひたることによって得られる快感と、そのツケのような「消え去る時間」のことを純粋に客観的に見られたとして、アルコールにひたることの害悪って、やはり一番ひどくって、人生を無駄に使ってる感がハンパなく巨大なんだよね?
一番よいのは、ほんとうは、なににもひたらない日々なのかもね?
軽〜い趣味を持って、テキトーに有意義な時間を過ごせる日々を、週を、月を、年を、数年を、10数年を、数十年を、その全き終わりまでの人生を。過ごせることが、幸せなんじゃ、ないのかしら?
べつになににもひたらないで、ね。
あ、ここで言ってる「ひたる」って、人生のその時間をそのために犠牲にするほどの大きさ重さを持ったこだわりに心中する、みたいな、大袈裟な意味合いをもたせているんで。
ほら、次の日の学業や仕事に支障をきたすほどの入れ込みかたで、アニメを観たり、詩を作ったりしたことがあったでしょ?
そういう状態ね。
それって、ダメでしょ?
でも、それに近いほどのなにかへのこだわりは、持っている方が、「ジンセイ、ユーイギ」でしょ?
けっきょく、なんもかんもバランス、やね。
中庸って、言葉で表したら、ちょっと「学」があるっぽい?
やりすぎず、やらなさすぎず。
ま、理想なんだけど、ね。
理想は、そう簡単にかなわないから、理想っていうんだって韜晦のような言葉を含めて、理想を目指して頑張って、行きまっしょい。
この、頑張って、行きまっしょい、って言葉、これとそのとき旬の若い女優さんだけで1本撮った日本映画があったなぁ。
それくらい、いい言葉、だね?