それが真っ白な大嘘なのだとしても
ひとはひとりで生きてゆくのだと
だれに、いつ、どこで
教わったのかは
すっかり忘れてしまったが、
今は、ひとりでないときは
ないし、
今は、ひとりがあたりまえだと
知っているし、
そして、
『ひとはひとりでは生きてゆけない』
だなんてまるで見当違いな真実みたいな
ただの、
真っ白な大嘘であってほしい言葉の意味を
日々、
噛み締めながら
生きているのだが。
べつにひとりが好きなわけではない
なぜ、
ひとりが好きではないのかが
わからないところが
けっこう重症な気もするが、
だれもがそばに残らない、
おもいつくままの
正義を云ってるわけではないし、
ある日突然やって来るという
奇跡を信じているわけでもないが、
生来の性格の悪さが
積年の恨みつらみで磨き抜かれたからか
だれもそばには残らないし。
なぜ、
孤独の痛みのはなしを
こんなにも懸命に語ってしまうのだろう
こんなにも激しく熱を持って
心と言葉を駆使して
伝えたくなってしまうのだろう
知って、いるよ。
しあわせは
ひとりで生きているもののもとには
けっして訪れないことなんて
けれどもふたりでいるためには
心の中で正しくそのひとを好きになり
好きでありつづけなければいけない
そうした時代もあったけれども
今振り返ると
それはやはりけっして永遠ではなく
そのあとやはりひとりで生きてゆく羽目に
おちいってしまうのだと
知って、いるよ。
だれが悪いわけではない、
ただ、じぶんじしんが
こういう骨格で
こういう肉をまとっているみたいに
ただ、
『ひとり』を全身にまとっているだけなのだ
ずっと、そうなるはずだ
未来や希望を夢想するとき
ふと
かたわらにあの頃のような
やさしくあたたかいひとが
あたりまえにいてくれたらなぁ、
とは
想うけれども、
だからといって
なにも変えられない臆病な頑固者には
生きることの難しさを
その存在のみっともなさを
断ち切って素直にあしたへ臨むなんて
いつまで待ってもできやしないから、
それで、いい
それで死ぬまで生きてゆくのだとしても
それは
それで、いいのだ。
じぶんじしんに、
それは、誓っている。
でも、たまぁに、こんな、晩夏
エアコンを効かせ過ぎた真夜中この時間に
嘘みたいなやさしくてあたたかい手で
あたまを撫でてもらいたくなる
それだけは、
じぶんでやると
じぶんを貶める自傷行為になっちゃうから
ぜったいやっちゃダメなヤツだ、
べつに
抱きしめてほしいだなんて
云っちゃいない、
ただ、
かぁるく、でいいから
撫でてほしい?と訊かれたら
落ち着いて、無責任だけど、素直な声で、
『撫でて、ほしいかな。』