たった、ひとりでいいから
ひとり、
そんな人がいてくれたら
それだけで書いていられる。
私の詩には、
無自覚になんだが
妙な『鬼道』がふりかけてあるのか
ごくたまぁーに、
それに惑わされた人が
やたらベタ褒めしてくれる
こともある。
私のことを、だよ?
『可愛いよ、〇〇さん』
とか
私の詩のことを、だよ?
『この詩が、私のやすらぎの場所です』
とか、
私なんかよりずっと上手なのに
私の弟子だとか謙遜して、ね?
『ししょー、愛してます』
とか、
まぁ、詩そのものを褒めてるのは
二番目だけだという話もあるし
それも技巧とかじゃなくて
思い入れたっぷりの心情で、のはなし
みたいだし。
たぶん、だけど
私の詩を書く姿が
なんか、危ういのかなぁ、とは想う。
エッジギリギリのところで
立っている
詩を
書きたい。
これは、ほんとう。
でも、ほど遠い。
表現はそうありたくてもあれない
エッジギリギリのところで立ってる
私の心の弱さ、穢さ、醜さ、
危うい心細さ、みるに耐えない情け無さ
なんてのを感じていただいて
ガンバッ!
って
わざわざ私ごときもののために
声出して、言葉を与えていただいてる
のかなと
想ってる。
でも、
ホントはね、
そんなに危ういわけでも無いのさ。
そんな風に、みえるなら、
ドジョウを食うなら、柳川で、食え。
あ、間違えた
同情するなら、金を、くれ。
そんな同情、
いらない
とかなんとかまた
妄想のうえに妄想を
積み重ねて悩んでいる
笑ってもらえないピエロの図。
ホントはね。
とても嬉しいよ。
ひとり、
たったひとりでも、
いいよ。
そんな人がいてくれたら
それだけで書いていられる。
ホントさ、
だから、書いているよ。
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ちなみに『鬼道』に関しては、
「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条」
(いわゆる「魏志倭人伝」)
を御参照くださいね。
でも普通に「魏志倭人伝」で通じるのに、
わざわざ、
「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条」
なんて書くところが、
やっぱり………危うい、………ですね?