蟷螂の斧、ふりかざし
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僕には難しくって、前半と後半の繋がりがよく分からなかったのですが、僕なりには、利他主義者であるために、自分に関する自己愛的な諸々を見ないふりをすると決意した―と、そんな感じで理解いたしました。 しかし僕がなにより反応してしまったのは、前半の、人は自分が一番だから愛が足りない、とするところです。僕は切られた元友人の女性が、自分なんか差し置いて幸せになってほしいと、心より思っています。彼女は一生独身を公言してましたが、もし彼氏ができたとしても、まったく嫉妬しないといえば嘘になりますが、それよりも彼女の幸せを悦ぶ気持ちの方が勝ると断言できます。 でも、そんな僕には焦がれるような願いが1つだけあります。それは彼女が友人関係を再開してくれること―。つまり僕は、彼女の幸せを見つづけていたいのです。そんな僕の想いは利他でしょうか?ずっと見ていたい(という形で関係したい)というところに照準すれば利己的な部分もあると言えるとは思うので、つまり100%の利他ではない。ですが、僕のように、彼女への愛の大枠は利他愛だよ、っていう人、案外いるんじゃないかと思いました。 やっぱり、100%利他を求めると、みな自己愛にまみれているという結論になってしまうと思うのです。お釈迦様だって、ありがたがられて自己愛の高揚を感じなかったといえば嘘になるでしょうから。 はちみつ 23/04/14 18:09
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