文字化け化けた文字達を
一音は一絵になる。
その絵こそ我らが綴る文字たちであると
その文字がそれぞれに意味を持つのだとしたら、
その文字がある並びになった時、意味を得られるのだとしたら、
それこそが正しく言葉になり、文であると。
これこそが詩であると。
「あ」一つでは[亜]であるが
そこにたった一文字を隣に並べるだけで、意味をなす。
「か」一つではなにもないが、
それを[蚊]に変えるだけで虫となる。
それこそ我らが国の文芸だ。
規制の鎖はゆるく、自由を許されている。
貶し言葉も褒め言葉になり、
褒め言葉も貶し言葉になる抽象の世界で
何か意味を考え答えを求めるのは
それは抽象を具体のように解釈し、二次創作するのは
それこそ芸術の自由であり、誰も咎めないだろう。
ただ。
抽象を具体にした時、それを鈍器とするのは、
それを人に向けるのは、
自由か? 否、芸術の不自由であり常々考えるべき事柄だ。
その絵こそ我らが綴る文字たちであると
その文字がそれぞれに意味を持つのだとしたら、
その文字がある並びになった時、意味を得られるのだとしたら、
それこそが正しく言葉になり、文であると。
これこそが詩であると。
「あ」一つでは[亜]であるが
そこにたった一文字を隣に並べるだけで、意味をなす。
「か」一つではなにもないが、
それを[蚊]に変えるだけで虫となる。
それこそ我らが国の文芸だ。
規制の鎖はゆるく、自由を許されている。
貶し言葉も褒め言葉になり、
褒め言葉も貶し言葉になる抽象の世界で
何か意味を考え答えを求めるのは
それは抽象を具体のように解釈し、二次創作するのは
それこそ芸術の自由であり、誰も咎めないだろう。
ただ。
抽象を具体にした時、それを鈍器とするのは、
それを人に向けるのは、
自由か? 否、芸術の不自由であり常々考えるべき事柄だ。